・・・それからしゃがれた声で早口に罵りはじめ、同室の婦人を指しては激烈に挑戦した。何を云っているかは聞取れない。巡査と駅員に守られて一旦乗船したが出船間際に連れ下ろされて行った。ついさっき暴れていたとは別人のようにすごすごと下りて行った後姿が淋し・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・ 改札口でなしに、小荷物口の方に向って、三四十人の人の群が、口々に喚き、罵り、殴り、髪の毛を引っ掴みながら、揺ぎ出した岩のようにノロノロと動いて行った。 その中に、が小荷物受渡台の上に彼自身でさえ驚くような敏捷さで、飛び上った。そし・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・心気粗暴、眼光恐ろしく、動もすれば人に向て怒を発し、言語粗野にして能く罵り、人の上に立たんとして人を恨み又嫉み、自から誇りて他を譏り、人に笑われながら自から悟らずして得々たるが如き、実に見下げ果てたる挙動にして、男女に拘わらず斯る不徳は許す・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ すると、勇吉は、粗朶火を持たない左の手で、怒り猛る仁王のようにおしまにつかみかかりながら罵りかえした。「へちゃばばあ! ええ気になりくさって、おれを何だと思う! 亭主だぞ! 憚んながらこの家の主人だ! 何、何、何をしようとおれの勝・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・と父を罵り、子の権利を主張した息子たち。それらの息子等の生活態度に反対しつつ、抽象的に人格の自由を重んじ無抵抗ならんとした心持が一つの矛盾となって、現実的な形での対立は固持し得なかった一家の父としてのレフ・トルストイの難破した姿。 思想・・・ 宮本百合子 「ジャンの物語」
・・・ 半夢中になって、彼をまるで猫や犬のように罵り散らしながら、自分の前かけや袖口を歯でブリブリと噛み破る。 訳が分らないで怒鳴りつけられたり擲たれたりして、恐ろしそうに竦んでいる子供達の肩を撫でてやりながら、禰宜様宮田は、黙然としてそ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 小田急の電車の中で、パーマネントの若い女の髪をつかんで罵りながら引っぱっている男を、ぐるりから止めることもできないような雰囲気で、実にこわかったということをもきいた。 日本がずっとまだ未開だったころは、男は自分の女房をなぐって何が・・・ 宮本百合子 「私の感想」
・・・――で、私は友人と二人でヒドイ言葉を使って彼を罵りました。私の妻は初めから黙って側で編物をしていました。やがて私はだんだん心の空虚を感じて来て、ふと妻の方に眼をやりました。妻も眼を上げて黙って私を見ました。その眼の内には一撃に私を打ち砕き私・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫