・・・るさいのですが、其の代り銘々が自家でもって十分苦しんで読んで、字が分らなければ字引を引き、意味が取れなければ再思三考するというように勉強した揚句に、いよいよ分らないというところだけを先生の前に持出して聞くのですから、一人が先生の何分間をも費・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・お君の首になったのを聞くと、編笠をテーブルに叩きつけて怒った。それでも胸につけてある番号のきれをいじりながら、自分の子供を眼を細くして見ていた。そして半分テレながら、赤ん坊の頬ぺたを突ッついたりして、大きな声を出して笑った。 帰り際に、・・・ 小林多喜二 「父帰る」
・・・まぬ母の慈愛厚く門際に寝ていたまぐれ犬までが尾をふるに俊雄はひたすら疇昔を悔いて出入りに世話をやかせぬ神妙さは遊ばぬ前日に三倍し雨晨月夕さすが思い出すことのありしかど末のためと目をつぶりて折節橋の上で聞くさわぎ唄も易水寒しと通りぬけるに冬吉・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・熱い空気に蒸される林檎の可憐らしい花、その周囲を飛ぶ蜜蜂の楽しい羽音、すべて、見るもの聞くものは回想のなかだちであったのである。其時自分は目を細くして幾度となく若葉の臭を嗅いで、寂しいとも心細いとも名のつけようのない――まあ病人のように弱い・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・ この群の跡から付いて来た老人は今の青年の叫声を聞くや否や、例のしっかりした、早い歩き付きで二足進んで、日に焼けた顔に思い切った幅広な微笑を見せて、人の好げた青い目を面白げに、さも人を信ずるらしく光らせて、青年の前に来て、その顔を下から・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 母親はその話を聞くと、「それではかたいパンもやわらかいパンもいやだというのだから、今度は半焼にしたのをもっていってごらんよ。」と言いました。 その晩ギンはちっとも寝ないで、夜が明けるのをまっていました。そしてやっとのこと空があ・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・ 君に聞くが、サンボルでなければものを語れない人間の、愛情の細かさを、君、わかるかね。 どうも、たいへん、不愉快である。多少でも、君にわからせようと努めた、私自身の焦慮に気づいて、私は、こんなに不機嫌になってしまった。私自身の孤独の・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・デルビイの店へも、人に怪まれない位に、ちょいちょい顔を出して、ポルジイの留守を物足らなく思うと云う話をも聞く。ついでに賭にも勝って、金を儲ける。何につけても運の好い女である。 舞台が済んで帰る時には、ポルジイが人の目に掛からないように、・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・故郷の野で聞く虫の声とは似もつかぬ。この似つかぬことと広い野原とがなんとなくその胸を痛めた。一時とだえた追懐の情が流るるように漲ってきた。 母の顔、若い妻の顔、弟の顔、女の顔が走馬燈のごとく旋回する。欅の樹で囲まれた村の旧家、団欒せる平・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・この話を聞くと私は何となくボルツマンを思い出す。しかしボルツマンは陰気でアインシュタインは明るい。 音楽の中では古典的なものを好むそうである。特にゴチックの建築に譬えられるバッハのものを彼が好むのは偶然ではないかもしれない。ベートーヴェ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫