・・・そのかたは、ね、職工さんよ。職工長。そのかたがいなければ、工場の機械が動かないんですって。大きい、山みたいな感じの、しっかりした方。 ――私とは、ちがうね。 ――ええ、学問は無いの。研究なんか、なさらないわ。けれども、なかなか、腕が・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・たくましく生きている職工さん、軍人さんは、いまこそ芸術を、美しさを、気ままに純粋に、たのしんでいるのでは無いか。「大デュマなんて、面白いじゃあないですか。ボードレエルの詩だって、なかなか変ったものですね。こないだ、なんといったかなあ、シ・・・ 太宰治 「正直ノオト」
・・・印刷所と申しましても、工場には主人と職工二人とそれから私と四人だけ働いている小さい個人経営の印刷所で、チラシだの名刺だのを引受けて刷っていたのでございますが、ちょうどその頃は日露戦争の直後で、東京でも電車が走りはじめるやら、ハイカラな西洋建・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・服装というものは不思議なもので、第二国民兵の服装をしていると、どんな人でも、ねっからの第二国民兵に見えて来るもので、職業、年齢、知識、財産などのにおいは全然、消えてしまって、お医者も職工さんも重役も床屋さんも、みんな同年配の同資格の第二国民・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・機械文化の頂点を示すべき映画の中で、一人の職工は有り余っているべき動力の洪水の中にいながら、最も原始的なその筋肉エネルギーを極度に消費して大きなダイアルの針を回し、そうして、疲れ切って倒れ、そのために大破壊が起こったりする。あの魯鈍な機械に・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 途中から乗った学生とも職工ともつかぬ男が、ベンチの肱掛けに腰をおろして周囲の女生徒にいろんな冗談を言って笑わしていた。「学校はどこ……小石川?、○○? △△?……」などと女学校の名前らしいものを列挙していたが生徒のほうではだれもはっき・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ よく聞いてみるとある会社の職工であったが機械に喰い込まれて怪我をしたというのである。そして多くの物貰いに共通なように、国へ帰るには旅費がないというような事も訴えていた。 幾度となくおじぎをしては私を見上げる彼の悲しげな眼を見ていた・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・筆の先を紙になすりつけ、それが数尾のごまめを表わし得て生動の妙を示したところで、これはあまりに職工的なあるいはむしろアクロバチックの芸当であって本当の芸術家としてむしろ恥ずべき事ではあるまいか。文学にしても枕詞やかけ言葉を喜ぶような時代は過・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・やがて時計台の下で電気ベルが鳴りだすと、とたんにどの建物からも職工たちがはじけでてくる。守衛はまだ門をひらかないのに、内がわはたちまち人々であふれてきた。三吉はいそいで橋をわたり、それからふたたび鉄の門へむかって歩きだす。――きょうはどのへ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・白い雨外套を着た職工風の男が一人、絣りの着流しに八字髭を生しながらその顔立はいかにも田舎臭い四十年配の男が一人、妾風の大丸髷に寄席芸人とも見える角袖コートの男が一人。医者とも見える眼鏡の紳士が一人。汚れた襟付の袷に半纏を重ねた遣手婆のような・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
出典:青空文庫