・・・おれたちのうしろ姿を、背伸びして見ている。それを知っていながら、嘉七は、わざとかず枝にぴったり寄り添うて人ごみの中を歩いた。自身こんなに平気で歩いていても、やはり、人から見ると、どこか異様な影があるのだ。嘉七は、かなしいと思った。三越では、・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・美濃は寝たままで思いきり大袈裟に背伸びした。「いいえ、」女は上半身を起し、髪を掻きあげて、「奥様は、ご立派なお方です。あたし、親兄弟の蔭口きくかた、いやです。」 美濃はのそりと起き、ベッドの上にあぐらをかいた。ひそかに苦笑している。・・・ 太宰治 「古典風」
・・・ 私は少し背伸びして、その父の手の形を覗いて、ああ、と全く了解した。すべて少女のお陰である。つまり佐渡ヶ島は、「工」の字を倒さにしたような形で、二つの並行した山脈地帯を低い平野が紐で細く結んでいるような状態なのである。大きいほうの山脈地・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・私も背伸びしては、茱萸をとって食べている。ジャピイも下で食べている。可笑しかった。そのこと、思い出したら、ジャピイを懐かしくて、「ジャピイ!」と呼んだ。 ジャピイは、玄関のほうから、気取って走って来た。急に、歯ぎしりするほどジャピイ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・私は散歩の途中、その道場の窓の下に立ちどまり、背伸びしてそっと道場の内部を覗いてみる。実に壮烈なものである。私は、若い頑強の肉体を、生れてはじめて、胸の焼け焦げる程うらやましく思った。うなだれて、そのすぐ近くの禅林寺に行ってみる。この寺の裏・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・当然及ばぬものに向って背伸びするからと思うのであった。その日は、はる子が一緒に暮している圭子もそこにいた。千鶴子は、唇に一種の表情を浮べながら聞いていたが、「私もそう思います」と真直に受けた。「あなたにお会いしてから、私少し自信・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・と笑談のような調子でいって、渡辺がどんな顔をするかと思うらしく、背伸びをしてのぞいてみた。盛花の籠が邪魔になるのである。「偶然似ているのだ」渡辺は平気で答えた。 シェリイを注ぐ。メロンが出る。二人の客に三人の給仕が附ききりである。渡・・・ 森鴎外 「普請中」
出典:青空文庫