・・・おまえのその鼻の先が紫いろに腫れあがるとおかしく見えますよ。なおすのに百日もかかる。なんだか間違っていると思います。これをいつでもすらすら言い出せるように、毎夜、寝てから三十ぺんずつひくく誦した。またこれを言っているあいだ口をまげたり、必要・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ 私は左の股に手をやって、傷から来た淋巴腺の腫れをそうっと撫でた。まるで横痃ででもあるかのように、そいつは痛かった。 ――横痃かも知れねえ。弱り目に祟り目だ。悪い時ゃ何もかも悪いんだ。どうなったって構やしない。――「その代りなあ・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・ 眼千両と言われた眼は眼蓋が腫れて赤くなり、紅粉はあわれ涙に洗い去られて、一時間前の吉里とは見えぬ。「どうだね、一杯」と、西宮は猪口をさした。吉里は受けてついでもらッて口へ附けようとした時、あいにく涙は猪口へ波紋をつくッた。眼を閉ッ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・とにかく、だいぶ腫れて参ったようです。」 親方のアーティストは、少ししゃくにさわったと見えて、プイッとうしろを向いて、フラスコを持ったまま向うへ行ってしまいました。デストゥパーゴは、ぷんぷん怒りだしました。「失敬じゃないか、あしたは・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・風邪で喉が腫れ、熱が高いのである。 頃合いを見て自分はゴザから立ち上った。そして彼の横をゆっくり通りすがって便所へ曲りしな小声で訊いた。「ニュースない?」「蔵原、やっぱりひとりらしい」「…………」 留置場の便所には戸がな・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・見てしまったものは、勝手に、 ――この腫れもの、痛んでしようがない。 ――きのう何故診療部へ行かなかったのさ。などとしゃべっている。 農村で外国貨幣を見ることはない。農民はちょっとでも様子の違う金に対しては極度に警戒的なのだ・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・前後たった四日の滞在であったが、その間Y、始終腕の腫れに悩まされ通しではあったが、楽しかった。大体、九州の旅行全体が楽しかった。九州は旅行するに変化ある。一つの盛沢山な前菜皿のようだ。陸の境界をそれぞれの山で区切られている国々は、大分にしろ・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・そこの白い窓では腫れ上った首が気惰るそうに成熟しているのが常だった。 彼はこれらの店々の前を黙って通り、毎日その裏の青い丘の上へ登っていった。丘は街の三条の直線に押し包まれた円錐形の濃密な草原で、気流に従って草は柔かに曲っていた。彼はこ・・・ 横光利一 「街の底」
出典:青空文庫