・・・ 人ごみの処をおしもおされもせず、これも夫婦の深切と、嬉しいにつけて気が勇みますので、臆面もなく別の待合へ入りましたが、誰も居りません、あすこはまた一倍立派でございますね、西洋の緞子みたような綾で張詰めました、腰をかけますとふわりと沈ん・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 満蔵は臆面もなくそんなことを言って濁笑いをやってる。実際満蔵の言うとおりで、おとよさんは省作のいるとこでは、話も思い切ってはしない。省作はもとから話下手ときてるから、半日並んで仕事をしていてもろくに口もきかないという調子で、今日の稲刈・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・た醜さは、南蛮渡来の豚ですら、見れば反吐をば吐き散らし、千曲川岸の河太郎も、頭の皿に手を置いて、これはこれはと呆れもし、鳥居峠の天狗さえ、鼻うごめいて笑うという、この面妖な旗印、六尺豊かの高さに掲げ、臆面もなく白昼を振りかざして痴けの沙汰。・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・堂々と自分のつらを、こんなにあやしいほど美しく書き装うてしかもおそらくは、ひとりの貴婦人へ頗る高価に売りつけたにちがいない二十三歳の小僧の、臆面もなきふてぶてしさを思うと、――いたたまらぬほど憎くなる。敗北の歌 曳かれものの・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・以上はただ全くの素人の想い出話のついでに思い付くままの空想を臆面もなく書付けて見ただけである。 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・ ここまで書いて来て振り返ってみると自分ながら随分臆面もなくよくこれだけ書いたものだと思う。しかし自分として云いたいと思う事はまだなかなか十分の一も尽されていない。一番云いたいと思うような主要な第一義の事柄はこれを云い表わすだけの言葉が・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・しかしながら徳川の末年でもあることか、白日青天、明治昇平の四十四年に十二名という陛下の赤子、しかのみならず為すところあるべき者どもを窘めぬいて激さして謀叛人に仕立てて、臆面もなく絞め殺した一事に到っては、政府は断じてこれが責任を負わねばなら・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・生れ落ちてから畳の上に両足を折曲げて育った揉れた身体にも、当節の流行とあれば、直立した国の人たちの着る洋服も臆面なく採用しよう。用があれば停電しがちの電車にも乗ろう。自動車にも乗ろう。園遊会にも行こう。浪花節も聞こう。女優の鞦韆も下からのぞ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・苦い真実を臆面なく諸君の前にさらけ出して、幸福な諸君にたとい一時間たりとも不快の念を与えたのは重々御詫を申し上げますが、また私の述べ来ったところもまた相当の論拠と応分の思索の結果から出た生真面目の意見であるという点にも御同情になって悪いとこ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・しかしその面白いと云うのは、やはりある境遇にあるものが、ある境遇に移ると、それ相応な事をやると云う真相を、臆面なく書いた所にあるのでしょう。しかしこの面白味は、前の唖の話と違って、ただ真を発揮したばかりではない。他の理想を打ち壊しています。・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
出典:青空文庫