・・・それは後に身延隠棲のところでも書くが、その至情はそくそくとしてわれわれを感動させるものがある。今も安房誕生寺には日蓮自刻の父母の木像がある。追福のために刻んだのだ。うつそみの親のみすがた木につくりただに額ずり哭き給ひけん こ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・或は尊み敬えと教うれば、舅姑は固より尊属目上の人なり、嫁の身として比教に従う可きは当然なれども、扨親しみ愛しむの一段に至りては、舅姑を先にして父母を後にせんとするも、子たる者の至情に於て叶わぬことならずや。論より証拠、世界古今に其例なきを如・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ ある人云く、父母の至情、誰かその子の上達を好まざる者あらんや、その人物たらんを欲し、その学者たらんを願い、終に事実において然らざるは、父母のこれを欲せざるにあらず、他に千種万状の事情ありて、これに妨げらるればなり、故に子を教育するの一・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・其最親の人の最も尊敬し最も親愛する老父母即ち舅姑のことなれば、仮令い自分の父母に非ざるも、夫を思うの至情より割出して、之に厚うするは当然のことなり。夫の常に愛玩する物は犬馬器具の微に至るまでも之を大切にするは妻たる者の情ならずや。況んや譬え・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・即ち家に居り家族相互いに親愛恭敬して人生の至情を尽し、一言一行、誠のほかなくしてその習慣を成し、発して戸外の働きに現われて公徳の美を円満ならしむるものなり。古人の言に、忠臣は孝子の門に出ずといいしも、決して偶然にあらず。忠は公徳にして孝は私・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ すでに他人の忠勇を嘉みするときは、同時に自から省みて聊か不愉快を感ずるもまた人生の至情に免かるべからざるところなれば、その心事を推察するに、時としては目下の富貴に安んじて安楽豪奢余念なき折柄、また時としては旧時の惨状を懐うて慙愧の念を・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
出典:青空文庫