・・・ 澄之は出た家も好し、上品の若者だったから、人も好い若君と喜び、丹波の国をこの人に進ずることにしたので、澄之はそこで入都した。 ところが政元は病気を時したので、この前の病気の時、政元一家の内うちうちの人だけで相談して、阿波の守護細川・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ジデロー一誦して善しと勧めて更に敷演して一論を完結せしむ。ルーソー其言に従う所謂非開化論なり。 而して先生は古今の記事文中、漢文に於ては史記、邦文では「近松」洋文ではヴォルテールの「シヤル・十二世」を激賞して居た。四・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・悪戯盛りの近所の小娘が、親でも泣かせそうな激しい眼付をして――そのくせ、飛んだ器量好しだが――横手の土塀の方へ隠れて行った。「どうしてこの辺の娘は、こう荒いんだろう。男だか女だか解りゃしない」 こう高瀬は濡縁のところから、垣根越しに・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・一生、結婚できなくとも、母を助け、妹を育て、それだけを生き甲斐として、妹は、私と七つちがいの、ことし二十一になりますけれど、きりょうも良し、だんだんわがままも無くなり、いい子になりかけて来ましたから、この妹に立派な養子を迎えて、そうして私は・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・ されば今の世の教育論者が、今のこの不遜軽躁なる世態に感動してこれを憂うるははなはだ善し。またこれに驚くも至当の事なれども、論者はこれを憂い、これに驚きて、これを古に復せんと欲するか。すなわち元禄年間の士人と見を同じゅうして、元禄の忠孝・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・題詠必ずしも悪しとに非ず、写実必ずしも善しとに非ず。されど今日までの歌界の実際を見るに題詠に善き歌少くして写実に俗なる歌少し。曙覧が実地に写したる歌の中に飛騨の鉱山を詠めるがごときはことに珍しきものなり。日の光いたらぬ山の洞のうちに・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・傍観者は攫者の左右または後方にあるを好しとす。 ベースボールいまだかつて訳語あらず、今ここに掲げたる訳語はわれの創意に係る。訳語妥当ならざるは自らこれを知るといえども匆卒の際改竄するに由なし。君子幸に正を賜え。升 附記・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・情感のゆたかな深い点に触れ得る人は好しいものです。〔一九二四年五月〕 宮本百合子 「異性の何処に魅せられるか」
・・・資本を持った雑誌は、数えるほどしかなく、それらの雑誌社は売れ口を数でこなすために、もっとも文化水準の低い広汎なおくれた層を目指し、支配階級がその商売を援助するように内容を飽くまでも、支配する側にとって良しと考えられる方向へ編輯するのである。・・・ 宮本百合子 「今日の文化の諸問題」
・・・ 千世子とは正反対にただ音無しい京子の性質と何でもをうけ入れやすい加型(性のたっぷりある頃からの仲善しだったと云う事が千世子と京子の間のどうしても切れない「つなぎ」になって居たばっかりであったろう。 一言一言を頭にきいて話す頭の友達・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
出典:青空文庫