・・・しかしどこか若木に似た水々しさを具えた少年だった。ちょうど十日ばかり以前のある午後、僕等は海から上った体を熱い砂の上へ投げ出していた。そこへ彼も潮に濡れたなり、すたすた板子を引きずって来た。が、ふと彼の足もとに僕等の転がっているのを見ると、・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・ この一軒屋は、その江見の浜の波打際に、城の壁とも、石垣とも、岸を頼んだ若木の家造り、近ごろ別家をしたばかりで、葺いた茅さえ浅みどり、新藁かけた島田が似合おう、女房は子持ちながら、年紀はまだ二十二三。 去年ちょうど今時分、秋のはじめ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・両側をきれいな細流が走って、背戸、籬の日向に、若木の藤が、結綿の切をうつむけたように優しく咲き、屋根に蔭つくる樹の下に、山吹が浅く水に笑う……家ごとに申合せたようである。 記者がうっかり見愡れた時、主人が片膝を引いて、前へ屈んで、「辰さ・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・それよりも、子供は、二人が、酒を飲んでいる、すぐそばに、かやの若木が、鉢に植わって、しかもその根が、真っ白に乾いているのを見ました。 ビールを、ガブ、ガブ、飲むかわりに、一杯の水を、かやの根もとにやればいいのにと、子供は、思ったのです。・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・しかし、この若木は、無事にそれをしのいで、いくたびも春を迎えて、麗しい花を開くであろう、が、こう年をとった私は、はたして、もう一度、その花が見れるだろうかと思ったのでした。しかし、良薬をもらって、その考えが変わりました。じいさんは、にこにこ・・・ 小川未明 「手風琴」
・・・たちまち、若木は坊主となり、野菜の葉は、穴だらけになってしまう。そうなってもちょうをきれいだなどというのは、ただふらふらしている遊び人だけで百姓や、また草木をかわいがる人間は、そうはいわない。一滴からだについたら、死んでしまうような殺虫剤で・・・ 小川未明 「冬のちょう」
・・・古い小さな庭井戸に近く、毎年のように花をつける桜の若木もある。他の植木に比べると、その細い幹はズンズン高くなった。最早紅くふくらんだ蕾を垂れていたが、払暁の温かい雨で咲出したのもある。そこはおせんが着物の裾を帯の間に挿んで、派手な模様の長襦・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・樹木にも定った年齢があるらしく、明治の末から大正へかけて、市中の神社仏閣の境内にあった梅も、大抵枯れ尽したまま、若木を栽培する処はなかった。梅花を見て春の来たのを喜ぶ習慣は年と共に都会の人から失われていたのである。 わたくしが梅花を見て・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ところどころ桜の若木が植え付けられている。やがて西新井橋に近づくに従って、旧道は再び放水路堤防の道と合し、橋際に至って全くその所在を失ってしまう。 西新井橋の人通りは早くも千住大橋の雑沓を予想させる。放水路の流れはこの橋の南で、荒川の本・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・彼は風を厭うともし灯を若木の桐の大きな葉で包んだ。カンテラの光が透して桐の葉は凄い程青く見えて居る。其の青い中にぽっちりと見えるカンテラの焔が微かに動き乍ら蚊帳を覗て居る。ともし灯を慕うて桐の葉にとまった轡虫が髭を動かしながらがじゃがじゃが・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫