・・・と番頭の膝を敲いたのには、少分の茶代を出したばかりの記者は、少からず怯かされた。が、乗りかかった船で、一台大に驕った。――主人が沼津の町へ私用がある。――そこで同車で乗出した。 大仁の町を過ぎて、三福、田京、守木、宗光寺畷、南条――とい・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ここへ二十七、八の太った女中が、茶具を持って上がってきた。茶代の礼をいうて叮嚀にお辞儀をする。「出花を入れ替えてまいりました、さあどうぞ……」「あ、今おりて湖水のまわりを廻ってくる」「お二人でいらっしゃいますの……そりゃまあ」・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・過分の茶代に度を失いたる亭主は、急ぎ衣裳を改めて御挨拶に罷り出でしが、書記官様と聞くよりなお一層敬い奉りぬ。 琴はやがて曲を終りて、静かに打ち語らう声のたしかならず聞ゆ。辰弥も今は相対う風色に見入りて、心は早やそこにあらず。折しも障子は・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・五十円持って旅に出たまずしい小心者が、そのお金をどんな工合いに使用したか、汽車賃、電車代、茶代、メンソレタム、一銭の使途もいつわらず正確に報告する小説を書こうと思います。 ふざけた事ばかりを書きました。きょうは女房から手紙が来ました。御・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・笠井さんは、醜怪な、奇妙な表情を浮べて、内心、動乱の火の玉を懐いたまま、ものもわからず勘定をすまし、お茶代を五円置いて、下駄をはくのも、もどかしげに、「やあ、さようなら。こんどゆっくり、また来ます。」くやしく、泣きたかった。 宿の玄・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・ 私はもういちど旅館の玄関から入り直して、こんどはあかの他人の一旅客としてここに泊って、ぜが非でも勘定をきちんと支払い、そうして茶代をいやというほど大ふんぱつして、この息子とは一言も口をきかずに帰ってしまおうかとさえ考えた。「さすが・・・ 太宰治 「母」
・・・お茶代だけでかんべんしてもらうよ。」といって祝儀を出すと、女は、「こんなに貰わなくッていいよ。お湯だけなら。」「じゃ、こん度来る時まで預けて置こう。ここの家は何ていうんだ。」「高山ッていうの。」「町の名はやっぱり寺嶋町か。」・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ 衛生を重ずるため、出来る限りかかる不潔を避けようためには県知事様でもお泊りになるべきその土地最上等の旅館へ上って大に茶代を奮発せねばならぬ。単に茶代の奮発だけで済む事なら大した苦痛ではないが、一度び奮発すると、そのお礼としてはいざ汽車・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・しかたがないから、少しばかりの茶代を置いて余は馬の背に跨った。女主人など丁寧に余を見送った。菅笠を被っていても木曾路ではこういう風に歓待をせられるのである。馬はヒョクリヒョクリと鳥井峠と上って行く。おとなしそうなので安心はしていたが、時々絶・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・経済的な目というものを、結婚や恋愛の場合女の側から男にだけ求めるものとして女に考えられている場合があるし、ひどいのになると、結婚は人生の事務であると云うような理屈づけで、恋愛の場合は男の人が、お茶代や映画を見物する費用、ハイキングに行くこと・・・ 宮本百合子 「女性の生活態度」
出典:青空文庫