・・・清八は取り敢ず御鷹匠小頭より、人を把るよしを言上しけるに、そは面白からん、明日南の馬場へ赴き、茶坊主大場重玄を把らせて見よと御沙汰あり。辰の刻頃より馬場へ出御、大場重玄をまん中に立たせ、清八、鷹をと御意ありしかば、清八はここぞと富士司を放つ・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・ 私は、ふと、木村重成と茶坊主の話を思い出した。それからまた神崎与五郎と馬子の話も思い出した。韓信の股くぐりさえ思い出した。元来、私は、木村氏でも神崎氏でも、また韓信の場合にしても、その忍耐心に対して感心するよりは、あのひとたちが、それ・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・ なお、その老人に茶坊主の如く阿諛追従して、まったく左様でゴゼエマス、大衆小説みたいですね、と言っている卑しく痩せた俗物作家、これは論外。 四 或る雑誌の座談会の速記録を読んでいたら、志賀直哉というのが、妙に・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・ まあ、茶坊主でしょう? 勝負はもう、ついているじゃありませんか。」私は、やはり笑いながら言う。 けれども兄は少しも笑わず、「太閤と利休の関係は、そんなものじゃないよ。利休は、ほとんど諸侯をしのぐ実力を持っていたし、また、当時のまあ・・・ 太宰治 「庭」
・・・で、栄升の左衛門、雷蔵の善三郎と家康、蝶昇の茶坊主と馬場、高麗三郎の鳥居、芝三松の梅ヶ枝などが重立ったものであった。道具の汚いのと、役者の絶句と、演芸中に舞台裏で大道具の釘を打つ音が台辞を邪魔することなぞは、他では余り見受けない景物である。・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・ワン・マン彼自身が国際茶坊主頭である。茶坊主政治は、護符をいただいては、それを一枚一枚とポツダム宣言の上に貼りつけ、憲法の本質を封じ、人権憲章はただの文章ででもあるかのように、屈従の鳥居を次から次へ建てつらねた。 おととしの十二月二十日・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
出典:青空文庫