・・・ そこへ婆さんが勝手から、あつらえ物の蒲焼を運んで来た。 その晩牧野は久しぶりに、妾宅へ泊って行く事になった。 雨は彼等が床へはいってから、霙の音に変り出した。お蓮は牧野が寝入った後、何故かいつまでも眠られなかった。彼女の冴えた・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・日本酒が無かったら、焼酎でもウイスキイでもかまいませんからね、それから、食べるものは、あ、そうそう、奥さん今夜はね、すてきなお土産を持参しました、召上れ、鰻の蒲焼。寒い時は之に限りますからね、一串は奥さんに、一串は我々にという事にしていただ・・・ 太宰治 「饗応夫人」
・・・「細君がいないので、せっかくおいで下さっても、何のおもてなしも出来ず、ほんの有り合せのものですが、でも、これはちょっと珍らしいものでしてね、おわかりですか、ナマズの蒲焼です。細君の創意工夫の独特の味が付いています。ナマズだって、こうなる・・・ 太宰治 「やんぬる哉」
・・・宿の裏の瀦水池で飼ってある鰻の蒲焼も出た。ここでしばらく飼うと脂気が抜けてしまうそうで、そのさっぱりした味がこの土地に相応しいような気もした。 宿の主人は禿頭の工合から頬髯まで高橋是清翁によく似ている。食後に話しに来て色々面白いことを聞・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・「鳥」「蒲焼」なぞの行燈があちらこちらに見える。忽ち左右がぱッと明く開けて電車は一条の橋へと登りかけた。 左の方に同じような木造の橋が浮いている。見下すと河岸の石垣は直線に伸びてやがて正しい角度に曲っている。池かと思うほど静止した堀割の・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・其から大将は昼になると蒲焼を取り寄せて、御承知の通りぴちゃぴちゃと音をさせて食う。それも相談も無く自分で勝手に命じて勝手に食う。まだ他の御馳走も取寄せて食ったようであったが、僕は蒲焼の事を一番よく覚えて居る。それから東京へ帰る時分に、君払っ・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・火気ぬきのブリキの小屋根の下っている下に、石の蒲焼用のこんろを大きくしたようなものにいつも火がかっかとおこっていた。それをさしはさんで両側に三人ずつ若い男があぐらをかいて坐っていて、一人が数本ずつうけもっている鉄のせんべい焼道具を、絶えず火・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・もやし棒鱈類をあきなう店だの、軒の上に猿がつながれている乾物屋だの、近頃になって何処かの工場の配給食のお惣菜を請負ったらしく、見るもおそろしいような烏賊を賑やかに家内じゅう総がかりで揚げものにしている蒲焼の看板をかけた店だのというものが、狭・・・ 宮本百合子 「今日の耳目」
出典:青空文庫