・・・ 他の人の行くことを嫌うところへ行け。 他の人の嫌がることをなせ これがマウント・ホリヨーク・セミナリーの立った土台石であります。これが世界を感化した力ではないかと思います。他の人の嫌がることをなし、他の人の嫌がるところ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・いつも女房の方が一足先に立って行く。多分そのせいで、女学生の方が何か言ったり、問うて見たりしたいのを堪えているかと思われる。 遠くに見えていた白樺の白けた森が、次第にゆるゆると近づいて来る。手入をせられた事のない、銀鼠色の小さい木の幹が・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・子供の為めには自分の凡てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てゝ行くという厳しい、鋭い眼がある。この二つの感情から結ばれた母の愛より大きなものはないと思う。しかし世の中には子供に対して責任感の薄い母も多い。・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・が、私はそれよりも、沖に碇泊した内国通いの郵船がけたたましい汽笛を鳴らして、淡い煙を残しながらだんだん遠ざかって行くのを見やって、ああ、自分もあの船に乗ったら、明後日あたりはもう故郷の土を踏んでいるのだと思うと、意気地なく涙が零れた。海から・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ところが或日若夫婦二人揃で、さる料理店へ飯を食いに行くと、またそこの婢女が座蒲団を三人分持って来たので、おかしいとは思ったが、何しろ女房の手前もあることだから、そこはその儘冗談にまぎらして帰って来たが、その晩は少し遅くなったので、淋しい横町・・・ 小山内薫 「因果」
・・・ 人影もないその淋しい一本道をすこし行くと、すぐ森の中だった。前方の白樺の木に裸電球がかかっている。にぶいその灯のまわりに、秋の夜明けの寂けさが、暈のように集っていた。しみじみと遠いながめだった。夜露にぬれた道ばたには、高原の秋の花が可・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・脚を引摺りながら力の脱けた手で動かぬ体を動かして行く。死骸はわずか一間と隔てぬ所に在るのだけれど、その一間が時に取っては十里よりも……遠いのではないが、難儀だ。けれども、如何仕様も無い、這って行く外はない。咽喉は熱して焦げるよう。寧そ水を飲・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・えたり縄を張ったり油粕までやって世話した甲斐もなく、一向に時が来ても葉や蔓ばかし馬鹿延びに延びて花の咲かない朝顔を余程皮肉な馬鹿者のようにも、またこれほど手入れしたその花の一つも見れずに追い立てられて行く自分の方が一層の惨めな痴呆者であるよ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・この女の人は平常可愛い猫を飼っていて、私が行くと、抱いていた胸から、いつもそいつを放して寄来すのであるが、いつも私はそれに辟易するのである。抱きあげて見ると、その仔猫には、いつも微かな香料の匂いがしている。 夢のなかの彼女は、鏡の前で化・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・前を遶る渓河の水は、淙々として遠く流れ行く。かなたの森に鳴くは鶇か。 朝夕のたつきも知らざりし山中も、年々の避暑の客に思わぬ煙を増して、瓦葺きの家も木の葉越しにところどころ見ゆ。尾上に雲あり、ひときわ高き松が根に起りて、巌にからむ蔦の上・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫