・・・と、にッこり会釈し、今奥へ行こうとする吉里の背後から、「花魁、困るじゃアありませんか」「今行くッたらいいじゃアないか。ああうるさいよ」と、吉里は振り向きもしないで上の間へ入ッた。 客は二人である。西宮は床の間を背に胡座を組み、平田は・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・嫁して後は我親の家に行ことも稀成べし。増て他の家へは大方は使を遣して音問を為べし。又我親里の能ことを誇て讃語るべからず。 女は我親の家をば継がず舅姑の跡を継ぐ故云々と。是れも前に言う通り壻養子したる家の娘は親の家を継ぐ者なり。他・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・己を死に導いてくれるなら己は甘んじて跟いて行こう。今までの己は生とはいっても真の生ではなかったから、己は今から己の死を己の生にして見よう。死も生も認めぬ己が強いて今までを生といって、お前を死と呼ばねばならぬはずがない。お前は僅か一秒の中に生・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・「そうか、それじゃ僕も一緒に行こう。」「もう午じゃが君飯食わないか。」「それじゃ一緒に食おう。」「これか、新橋ステーションの洋食というのは。とにかく日本も開らけたものだネー。爰処へこんな三階作りが出来て洋食を食わせるなんていうのは。・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・あしたは日曜だけれども無くならないうちに買いに行こう。僕は国語と修身は農事試験場へ行った工藤さんから譲られてあるから残りは九冊だけだ。四月五日 日南万丁目へ屋根換えの手伝え(にやられた。なかなかひどかった。屋根の上にのぼ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・信州地方の風景的生活的特色、東京の裏町の生活気分を、対比してそれぞれを特徴において描こうとしているところ、又、主人公おふみの生きる姿の推移をその雰囲気で掴み、そこから描き出して行こうとしているところ、なかなか努力である。カメラのつかいかたを・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・食事の支度は女中に言いつけてあるが、姑が食べると言われるか、どうだかわからぬと思って、よめは聞きに行こうと思いながらためらっていた。もし自分だけが食事のことなぞを思うように取られはすまいかとためらっていたのである。 そのときかねて介錯を・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・おれがこれから鎌倉へ行こうぞと馳せ行いた途、武蔵野の中ほどで見れば秩父の刀禰たち二方は……」「さて秩父たち二人は」「はしなくも……」「もどかわしや。いざ、いざ、いざ」「はしなくも敵に探られて、そうじゃ、そのまま斫り斃されて…・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・「ええとも、あの餓鬼ったら、仕様のない奴や。」「そうしてくれのう。土産も何もあらへんけど、二円五十銭持ってるのやが、どうにかならんかのう?」「要るもんか。」「要らんか、頼むぜ。」「行こ行こ。」「ちょっと待ってくれ、お・・・ 横光利一 「南北」
・・・そして出口の方へ行こうとして、ふと壁を見ると、今まで気が附かなかったが、あっさりした額縁に嵌めたものが今一つ懸けてあった。それに荊の輪飾がしてある。薄暗いので、念を入れて額縁の中を覗くと、肖像や画ではなくて、手紙か何かのような、書いた物であ・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫