・・・間違ったのかと思って振り返る――兵站部は燈火の光、篝火の光、闇の中を行き違う兵士の黒い群れ、弾薬箱を運ぶかけ声が夜の空気を劈いて響く。 ここらはもう静かだ。あたりに人の影も見えない。にわかに苦しく胸が迫ってきた。隠れ家がなければ、ここで・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・もし吾々人間にこの半分の能力があれば、銀座の四つ角で自動車電車の行き違う間を、巡査やシグナルの助けを借りずとも自由自在に通過することが出来るにちがいない。しかし人間にはシグナルがあり法律があり道徳があるために鳥獣の敏活さがなくても安心して生・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・もしわれわれ人間にこの半分の能力があれば、銀座の四つ角で自動車電車の行き違う間を、巡査やシグナルの助けを借りずとも自由自在に通過することができるにちがいない。しかし人間にはシグナルがあり法律があり道徳があるために鳥獣の敏活さがなくても安心し・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・若い女どうしは近よりながら、互いに用心深くお互いを偵察し合いながら行き違う。そうして何かしら小さな観察をし小さな発見をすることによってめいめいの小さなかわいいプライドを満足させているように思われる。 雲取池のみぎわのベンチに、五十格好の・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・身のたけに余る柴を負うてのそりのそりあるいて来た。たくましい赤黒い顔に鉢巻をきつくしめて、腰にはとぎすました鎌が光っている。行き違う時に「どうもお邪魔さまで」といって自分の顔をちらと見た。しばらくして振り返って見たら、若者は・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・黒い足場の間に人は夜業する照明燈の蒼白い強い光線を見、行き違う鉄骨の複雑な影のこい錯綜から、これは巨大な何かが地からもり上って来るのを、人間がたかってある一定の大いさまでおしつけ、まとめて、熱心にかためようと働いていると云う感じを受ける。全・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・二台の人力車がらくに行き違うだけの道を隔てて、向いの家で糸を縒るいとぐるまの音が、ぶうんぶうんと聞える。糸を縒っているのは、片目の老処女で、私の所で女中が宿に下がった日には、それが手伝に来てくれるのであった。 或る日役所から帰って、机の・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫