・・・金屏風とむきあった、客の脱すてを掛けた衣桁の下に、何をしていたか、つぐんでいて、道陸神のような影を、ふらふらと動かして、ぬいと出たものがあった。あれと言った小春と、ぎょっとした教授に「北国一。」と浴せ掛けて、またたく間に廊下をすっ飛んで行っ・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・洗濯をすまし、鬚を剃って、いい男になり、部屋へ帰って、洗濯物は衣桁にかけ、他の衣類をたんねんに調べて血痕のついていないのを見とどけ、それからお茶をつづけさまに三杯飲み、ごろりと寝ころがって眼をとじたが、寝ておられず、むっくり起き上ったところ・・・ 太宰治 「犯人」
・・・この室は女の衣装を着替える所になっていたので、四面にずらりと衣桁を並ベ、衣紋竹を掛けつらねて、派手なやら、地味なやらいろんな着物が、虫干しの時のように並んでいる。白粉臭い、汗くさい変な香がこもった中で、自分は信乃が浜路の幽霊と語るくだりを読・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
・・・と、お熊は衣桁に掛けてあッた吉里のお召縮緬の座敷着を取ッて、善吉の後から掛けてやッた。 善吉はにっこりして左右の肩を見返り、「こいつぁア強気だ。これを借りてもいいのかい」「善さんのことですもの。ねえ。花魁」「へへへへへ。うまく言・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ いろいろに引きとめるのをきかないで私は手廻りのものを片づけたり、ぬいだまんま衣桁になんかかけて置いた浴衣をソソクサとたたんだりした。 たえず心をおそって来る静かな不安と恐れとがどんな事でも落ついてする事の出来ない気持にさせた。・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・そこをあけると、玄関が二畳でそこにはまだ一部分がこわれたので、組立てられずに白木の大本棚が置いてあり、右手の唐紙をあけると、そこは四畳半で、箪笥と衣桁とがおいてあり、アイロンが小さい地袋の上に光っている。そこの左手の襖をあけると、八畳の部屋・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・留守で人の居ない庭へ面してあけ放たれている さっぱりした日本間。衣桁の形や椅子の脚が、逆光線で薄やみの中に黒く見える。つめたいさむさ。土の冷えが来るような 庭のしめり。○西日のよくあたる梢の上かわだけ紅葉しているもみじ。○すっかり黄・・・ 宮本百合子 「情景(秋)」
・・・光君の部屋は兄君即ち殿の持ち部屋になったけれ共、もとのまま光君の美くしい色の衣は衣桁に几帳も褥子も置いて有ったところに置いたままになって居た。 人達の頭の中からは中々いつまで立ってもこの悲しみはぬけそうにもなかった。・・・ 宮本百合子 「錦木」
出典:青空文庫