・・・彼は兄の病臥している山の事務所を引き揚げて、その時K市のステーションへ著いたばかりであったが、旅行先から急電によって、兄の見舞いに来たので、ほんの一二枚の著替えしかもっていなかったところから、病気が長引くとみて、必要なものだけひと鞄東京の宅・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・と鳶の頭清五郎がさしこの頭巾、半纒、手甲がけの火事装束で、町内を廻る第一番の雪見舞いにとやって来た。「へえッ、飛んでもねえ。狐がお屋敷のをとったんでげすって。御維新此方ア、物騒でげすよ。お稲荷様も御扶持放れで、油揚の臭一つかげねえもんだ・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ただ年が年中足を擂木にして、火事見舞に行くんでも、葬式の供に立つんでも同じ心得で、てくてくやっているのは、本人の勝手だと云えば云うようなものの、あまり器量のない話であります。デフォーははなはだ達筆で生涯に三百何部と云う書物をかきました。まあ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・彼女の見舞に行くのはいいだろうと考えた。何故だかも一度私は彼女に会い度かった。 私は階段を昇った。蛞蝓は附いて来た。 私は扉を押した。なるほど今度は訳なく開いた。一足室の中に踏み込むと、同時に、悪臭と、暑い重たい空気とが以前通りに立・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・の方の朝夕の見舞を闕べからず。の方の勤べき業を怠べからず。若しの命あらば慎行ひて背べからず。万のこと舅姑に問ふて其教に任べし。若し我を憎誹りたまふとも怒恨ること勿れ。孝を尽して誠を以て仕ふれば後は必ず中好なるものなり。 女子は我・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・枕もとには見舞いの電報や、たくさんの手紙がありました。ブドリのからだじゅうは痛くて熱く、動くことができませんでした。けれどもそれから一週間ばかりたちますと、もうブドリはもとの元気になっていました。そして新聞で、あのときの出来事は、肥料の入れ・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・二月の或る日、陽子は弟と見舞旁遊びに行った。停車場を出たばかりで、もうこの辺の空気が東京と違うのが感じられた。大きな石の一の鳥居、松並木、俥のゴム輪が砂まじりの路を心持よく行った。いかにも鎌倉らしい町や海辺の情景が、冬で人が少いため、一種独・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ ある日又七郎が女房に言いつけて、夜ふけてから阿部の屋敷へ見舞いにやった。阿部一族は上に叛いて籠城めいたことをしているから、男同志は交通することが出来ない。しかるに最初からの行きがかりを知っていてみれば、一族のものを悪人として憎むことは・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ときどき彼を見舞いに来る高田と会ったとき、梶は栖方のことを云い出してみたりしたが、高田は死児の齢を算えるつまらなさで、ただ曖昧な笑いをもらすのみだった。「けれども、君、あの栖方の微笑だけは、美しかったよ。あれにあうと、誰でも僕らはやられ・・・ 横光利一 「微笑」
・・・弟が病気で、ニッツアに行っています所が、そいつがひどく工合が悪くなったというので、これから見舞に行って遣るのです。」「左様でございますか。それならあなた、弟さんを直ぐに連れてお帰りなさいましよ。御容体が悪くたって、その方が好うございます・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫