青森には、四年いました。青森中学に通っていたのです。親戚の豊田様のお家に、ずっと世話になっていました。寺町の呉服屋の、豊田様であります。豊田の、なくなった「お父さ」は、私にずいぶん力こぶを入れて、何かとはげまして下さいまし・・・ 太宰治 「青森」
・・・ ばかに自分の事ばかり書きすぎたようにも思うが、しかし、作家が他の作家の作品の解説をするに当り、殊にその作家同士が、ほとんど親戚同士みたいな近い交際をしている場合、甚だ微妙な、それこそ飛石伝いにひょいひょい飛んで、庭のやわらかな苔を踏ま・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・見聞した事は詳細に書き留めて、領事の証明書を添えて、親戚に報告しなくてはならない。 ポルジイは会議の結果に服従しなくてはならない。腹を立てて、色々な物を従卒に打ち附けてこわした。ドリスを棄てようか。それは「絶待」に不可能である。少し用心・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・がかった読み物への入門をした。親戚の家にあった為永春水の「春色梅暦春告鳥」という危険な書物の一部を、禁断の木の実のごとく人知れず味わったこともあった。一方ではゲーテの「ライネケ・フックス」や、それから、そのころようやく紹介されはじめたグリム・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・大学の二年から三年に移った夏休みに、呼吸器の病気を発見したために、まる一年休学して郷里の海岸に遊んでいたころ、その病気によくきくと言ってある親戚から笹百合というものの球根を送ってくれた事があった。それを炮烙で炒ってお八つの代わりに食ったりし・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・ついこの間の事だが、僕の親戚の者がやはりインフルエンザに罹ってね。別段の事はないと思って好加減にして置いたら、一週間目から肺炎に変じて、とうとう一箇月立たない内に死んでしまった。その時医者の話さ。この頃のインフルエンザは性が悪い、じきに肺炎・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・婚姻はもとより当人の意に従て適不適もあり、また後日生計の見込もなき者と強いて婚すべきには非ざれども、先入するところ、主となりて、良偶を失うの例も少なからず。親戚朋友の注意すべきことなり。一度び互に婚姻すればただ双方両家の好のみならず、親戚の・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 作人はその間に、魯迅と一緒にあずけられた家から祖父の妾の家へ移って、勉学のかたわら獄舎の祖父の面会に行ったり、「親戚の少女と淡い、だが終生忘られない初恋を楽しんだりしていた。」 魯迅と作人との少年時代の思い出は、このように異った二・・・ 宮本百合子 「兄と弟」
・・・柄本又七郎へは米田監物が承って組頭谷内蔵之允を使者にやって、賞詞があった。親戚朋友がよろこびを言いに来ると、又七郎は笑って、「元亀天正のころは、城攻め野合せが朝夕の飯同様であった、阿部一族討取りなぞは茶の子の茶の子の朝茶の子じゃ」と言った。・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・けれども此の南北二家は親戚関係の成り立った当夜から、既に絶縁同様になっていた。と云うのは、秋三の祖父が、血統の不浄な貧しい勘次の父の請いを拒絶した所、勘次の母は自ら応じてその家へ走ったことから始まった。祖父の死後秋三の父は莫大な家産を蕩尽し・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫