・・・ 十二 牧野の妻が訪れたのは、生憎例の雇婆さんが、使いに行っている留守だった。案内を請う声に驚かされたお蓮は、やむを得ず気のない体を起して、薄暗い玄関へ出かけて行った。すると北向きの格子戸が、軒さきの御飾りを透・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・これによると、大アルメニアの大僧正が、セント・アルバンスを訪れた時に、通訳の騎士が大僧正はアルメニアで屡々「さまよえる猶太人」と食卓を共にした事があると云ったそうである。次いでは、フランドルの歴史家、フィリップ・ムスクが千二百四十二年に書い・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ それからまた一年ばかりの後、煙客翁は潤州へ来たついでに、張氏の家を訪れてみました。すると墻に絡んだ蔦や庭に茂った草の色は、以前とさらに変りません。が、取次ぎの小厮に聞けば、主人は不在だということです。翁は主人に会わないにしろ、もう一度・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・それは日露戦役後、少将が那須野の別荘に、将軍を訪れた時の事だった。その日別荘へ行って見ると、将軍夫妻は今し方、裏山へ散歩にお出かけになった、――そう云う別荘番の話だった。少将は案内を知っていたから、早速裏山へ出かける事にした。すると二三町行・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・――今日出仕を終ってから、修理は、白帷子に長上下のままで、西丸の佐渡守を訪れた。見た所、顔色もすぐれないようだから、あるいはまだ快癒がはかばかしくないのかと思ったが、話して見ると、格別、病人らしい容子もない。そこで安心して、暫く世間話をして・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ 現に今日、和泉式部を訪れたのも、験者として来たのでは、勿論ない。ただこの好女の数の多い情人の一人として春宵のつれづれを慰めるために忍んで来た。――それが、まだ一番鶏も鳴かないのに、こっそり床をぬけ出して、酒臭い唇に、一切衆生皆成仏道の・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・もう雪も解け出しそうなものだといらいらしながら思う頃に、又空が雪を止度なく降らす時などは、心の腐るような気持になることがないではないけれど、一度春が訪れ出すと、その素晴らしい変化は今までの退屈を補い尽してなお余りがある。冬の短い地方ではどん・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・そして、しまいには一軒一軒、よその家を訪れて、「家の猫はきていませんでしょうか。」と、聞いて歩きました。三郎は、あまりばあさんが気をもんでいるのを見て、はじめはおもしろうございましたが、しまいには不憫になって、ついに猫を放してやりま・・・ 小川未明 「少年の日の悲哀」
・・・ところが、三月ばかりたつと、亀やんはぽっくり死んでしまったので、私はまた拾い屋になろうと思って、ガード下の秋山さんを訪れると、もう秋山さんはどこかへ行ってしまったのか、姿を消していました。井戸水を貰っていた百姓家の人に訊いても、秋山さんが出・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 某日、軽部の同僚と称して、蒲地某が宗右衛門の友恵堂の最中を手土産に出しぬけに金助を訪れ、呆気にとられている金助を相手によもやまの話を喋り散らして帰って行き、金助にはさっぱり要領の得ぬことだった。ただ、蒲地某の友人の軽部村彦という男が品・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫