・・・御身達の道は迷いの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言わずにいる。女はやや落ちついた調子で「吾夫が先なら追いつこう、後ならば誘うて行こう。正しき神の国に、正しき道を踏んで行こう」と云い終って落つるがごとく首を台の上に投げかける。眼の凹ん・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・父母たる者の義務として遁れられぬ役目なれども、独り女子に限りて其教訓を重んずるとは抑も立論の根拠を誤りたるものと言う可し。世間或は説あり、父母の教訓は子供の為めに良薬の如し、苟も其教の趣意にして美なれば、女子の方に重くして男子の方を次ぎにす・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・その原因は他なし、この改進者流の人々が、おのおのその地位におりて心情の偏重を制すること能わず、些々たる地位の利害に眼をおおわれて事物の判断を誤り、現在の得失に終身の力を用いて、永遠重大の喜憂をかえりみざるによりて然るのみ。 内閣にしばし・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・これも真面目な強い方の句には誤りは少ないが軟かい方の句には誤りが多いかと思われる。露月とは趣を異にしているけれどやはり微細なる趣向における趣味を充分に会得しないように思われる。格堂の句は旨い事は実に旨いものであるが、その句法が一本筋であ・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・サンスクリットの両音相類似する所から軽卒にもあのような誤りを見たのである。茲に於てか私は前論士の結論を以て前論士に酬える。仏教徒諸君、釈迦を見ならえ、釈迦の相似形となれ、釈迦の諸徳をみなその二万分一、五万分一、或は二十万分一の縮尺に於てこれ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・いくらか誤りがあるかもしれないが大略はそういう意味の意見をきいたそうだ。こういう意見も文化に対する政策というものが、その一つの構成要素として現在の幅のなかにふくんでいるものであろう。 日本の民衆にシェークスピアを理解させたいという希望が・・・ 宮本百合子 「明日の実力の為に」
・・・ローザの経済主義的な誤謬、トロツキーの世界革命がおこらない間は、それぞれの国での革命、社会主義生産への移行は不可能であるとした理論などは、こんにちのソヴェト同盟の存在と民主中国の事情を研究すれば、誤りであることが明瞭です。 政府の挑発的・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・六郎は東京にて山岡鉄舟の塾に入りて、撃剣を学び、木村氏は熊谷の裁判所に出勤したりしに、或る日六郎尋ねきて、撃剣の時誤りて肋骨一本折りたれば、しばしおん身が許にて保養したしという。さて持てきし薬など服して、木村氏のもとにありしが、いつまでも手・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・雑念はすべて誤りという不可思議な中で、しきりに人は思わねばならぬ。思いを殺し、腰蓑の鋭さに水滴を弾いて、夢、まぼろしのごとく闇から来り、闇に没してゆく鵜飼の灯の燃え流れる瞬間の美しさ、儚なさの通過する舞台で、私らの舟も舷舷相摩すきしみを立て・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・ただ惜しむらくは西行と同じ誤りに陥っている。隠者仙人は人生と没交渉なると同時に社会の人として価値がない。一己の心霊の満足は目的でない。霊水に凡俗を浴せしめ凡界を洗うの信念が無ければ仙人は鶴と類を同じゅうせる生物に過ぎない。 真と義と愛と・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫