・・・八 然り、多年の厳しい制度の下にわれらの生活は遂に因襲的に活気なく、貧乏臭くだらしなく、頼りなく、間の抜けたものになったのである。その堪えがたき裏淋しさと退屈さをまぎらすせめてもの手段は、不可能なる反抗でもなく、憤怒怨嗟でも・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・彼は貧乏な家に生れた。それで彼は骨が太くなると百姓奉公ばかりさせられた。彼はうまく使えば非常な働手であった。彼は一剋者である。一旦怒らせたら打っても突いてもいうことを聴くのではない。性癖は彼の父の遺伝である。だが甞て乱暴したということもなく・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・もとは貧乏士族が内職に焼いたとさえ伝聞している。津田君が三十匁の出殻を浪々この安茶碗についでくれた時余は何となく厭な心持がして飲む気がしなくなった。茶碗の底を見ると狩野法眼元信流の馬が勢よく跳ねている。安いに似合わず活溌な馬だと感心はしたが・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・俺達の仲間はひどい貧乏なんだ。だから、目腐金へでも飛びつく者ができるんだ。不所存者がな。 お前は、俺達を、一様に搾取するだけで倦き足りないで、そういう風にして、個々の俺達の仲間までも堕落させるんだ。 フン! 捩れ。 押しひしゃげ。や・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・裏に表に手を尽して吟味に吟味を重ね、双方共に是れならばと決断していよ/\結婚したる上は、家の貧乏などを離縁の口実にす可らざるは、独り女の道のみならず、亦男子の道として守る可き所のものなり。近年の男子中には往々此道を知らず、幼年の時より他人の・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・その歌左に人にかさかしたりけるに久しうかへさざりければ、わらはしてとりにやりけるにもたせやりたる山吹のみの一つだに無き宿はかさも二つはもたぬなりけり その貧乏さ加減、我らにも覚えのあることなり。ひた土に筵・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・いい酒です。貧乏な僕のお酒はまた一層に光っておまけに軽いのだ。」「けれどもぜんたいこれでいいんですか。あんまり光が過ぎはしませんか。」「いいえ心配ありません。酒があんなに湧きあがり波を立てたり渦になったり花弁をあふれて流れてもあのチ・・・ 宮沢賢治 「チュウリップの幻術」
・・・自分が決してどん底の者でないことが感じられていたのだが――沢やの婆が行ってしまったら、後に、誰か自分より老耄れた、自分より貧乏な、自分より孤独な者が残るだろうか? 自分が正直に働いてい、従って真逆荷車で村から出されるようなことにならない・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ 後に深野屋へ聞えた所に依ると、亀蔵は正月二十四日に、熊野仁郷村にいるははかたの小父林助の家に来て、置いてくれと頼んだが、林助は貧乏していて、人を置くことが出来ぬと云って、勧めて父定右衛門が許へ遣った。知人にたよろうとし、それがかなわぬ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・女房はもとけちな女中奉公をしていたもので十七になるまでは貧乏な人達を主人にして勤めたのだ。 ある日曜日に暇を貰って出て歩くついでに、女房は始めてツァウォツキイと知合いになった。その時ツァウォツキイは二色のずぼんを穿いていた。一本の脚は黄・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
出典:青空文庫