・・・湊の花』には、思う人に捨てられた女が堀割に沿うた貧家の一間に世をしのび、雪のふる日にも炭がなく、唯涙にくれている時、見知り顔の船頭が猪牙舟を漕いで通るのを、窓の障子の破れ目から見て、それを呼留め、炭を貰うというようなところがあった。過ぎし世・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・さあ婆さん驚くまい事か、僕のうちに若い女があるとすれば近い内貰うはずの宇野の娘に相違ないと自分で見解を下して独りで心配しているのさ」「だって、まだ君の所へは来んのだろう」「来んうちから心配をするから取越苦労さ」「何だか洒落か真面・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・ 倉庫から、ピークへは、「勝手に下りて貰う」より外に方法が無かった。 十五呎を、第一番に、死体が「勝手に」飛び下りた。 次に、火夫が、憐を乞うような眼で、そこら中を見廻しながら、そして、最後の反抗を試みながら、「勝手」に飛び込ん・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・まあ、やっぱり手を出して一文貰うか、パンでも貰うかするんだなあ。おれはこのごろ時たま一本腕をやる。きょうなんぞもやったのだ。随分骨が折れて、それほどの役には立たねえ。きまって出ている場所と、きまってくれるお得意とがなけりゃあ、この商売は駄目・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・ それより以下幾百万の貧民は、たとい無月謝にても、あるいはまた学校より少々ずつの筆紙墨など貰うほどのありがたき仕合にても、なおなお子供を手離すべからず。八歳の男の子には、草を刈らせ牛を逐わせ、六歳の妹には子守の用あり。学校の教育、願わし・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・己が少しでもそれを心に感じたのだと思って貰うと大違いだ。(主人は手紙の束を死の足許これが己の恋の生涯だ。誠という物を嘲み笑って、己はただ狂言をして見せたのだ。恋ばかりではない。何もかもこの通りだ。意義もない、幸福もない、苦痛もない、慈愛もな・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・それでチョイと思いついたのは、矢張寐棺に入れて、蓋はしないで、顔と体の全面丈けはすっかり現わして置いて、絵で見た或国の王様のようにして棄てて貰うてはどうであろうか。それならば窮屈にもなく、寒くもないから其点はいいのであるが、それでも唯一つ困・・・ 正岡子規 「死後」
・・・まず野鼠は、ただの鼠にゴム靴をたのむ、ただの鼠は猫にたのむ、猫は犬にたのむ、犬は馬にたのむ、馬は自分の金沓を貰うとき、なんとかかんとかごまかして、ゴム靴をもう一足受け取る、それから、馬がそれを犬に渡す、犬が猫に渡す、猫がただの鼠に渡す、ただ・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・一人ぼっちで、食事の時もその部屋を出られず、貧弱そうな食物を運んで貰う――異様に生活の縮小した感じで、陽子は落付きを失った。「ここへ置きますから、どうぞ上って下さい」「ええ、ありがと」 婆さんが出てから振返って見ると、朱塗りの丸・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・最初誰かに脹満だと云われたので、水を取って貰うには、外科のお医者が好かろうと思って、誰かの処へ行くと、どうも堅いから癌かも知れないと云って、針を刺してくれなかったと云うのです」「それじゃあ腹水か、腹腔の腫瘍かという問題なのだね。君は見た・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫