・・・これはもとより冗談であるが、先生の頭の奥に、区々たる場所を超越した世界的の観念が潜んでいればこそ、こんな挨拶もできるのだろう。またこんな挨拶ができればこそ、たいした興味もない日本に二十年もながくいて、不平らしい顔を見せる必要もなかったのだろ・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生の告別」
・・・今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかと云う競争になってしまったのであります。生きるか生きるかと云うのはおかしゅうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないと・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云うことにあるのである。八紘為宇の世界的世界形成の原理は内に於て君臣一体、万民翼賛の原理である。我国体を家族的国家と云っても、単に家族主義的と考えてはならない。何処・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
・・・かかる内在即超越、超越即内在の形式によって、一度的なる唯一的自己、歴史的自己というものが考えられるのである。自覚的自己は履歴を有ったものでなければならない。時間空間の形式というものも、自己表現的世界の自己形成の形式として、論理的に考えられる・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・たとえば医学の如きは、日本にてその由来も久しく、したがってその術も他の諸科に超越するものなれども、今日の有様を見れば、西洋の日新を逐うて、つねに及ばざるの嘆をまぬかれず。数百年の久しき、日本にて医学上の新発明ありしを聞かざるのみならず、我が・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ことにその題目が風月の虚飾を貴ばずして、ただちに自己の胸臆をしくもの、もって識見高邁、凡俗に超越するところあるを見るに足る。しこうして世人は俊頼と文雄を知りて、曙覧の名だにこれを知らざるなり。 曙覧の事蹟及び性行に関しては未だこれを聞く・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ 神仏の力によって、生死の境を超越した人でないかぎりは必ずそうあるべき事なのである。何処に居て誰の手に寄ろうと死は一つ死で有ろうけれ共、私は、我が幼児が親同胞にとりかこまれて、何物にもたとえ様のない愛の手ざわりと、啜り泣きの裡に逝ったと・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・いまにだんだんそういう自分に超越して、変な目でわたくしのものを読む人にも平気になれるであろうけれど。〔一九二七年四月〕 宮本百合子 「感情の動き」
・・・そのため先生の平生にはなるべく感動を超越しようとする努力があった。先生は相手の心の純不純をかなり鋭く直覚する。そうして相手の心を細かい隅々にわたって感得する。先生の心臓は活発にそれに反応するが、しかし先生はそれだけを露骨に発表することを好ま・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
・・・哲学者で宇宙の真理を考えているのだから、子供をなくした悲しみぐらいはなんでもなく超越できるというのではないのだ。実に人間的に率直に悲しんでいられる。亡きわが児が可愛いのは何の理由もない、ただわけもなく可愛い。甘いものは甘い、辛いものは辛いと・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫