・・・と呼びし声嗄れて呼吸も迫りぬと覚し。 炉には灰白く冷え夕餉たべしあとだになし。家内捜すまでもなく、ただ一間のうちを翁はゆるやかに見廻わしぬ。煤けし壁の四隅は光届きかねつ心ありて見れば、人あるに似たり。源叔父は顔を両手に埋め深き嘆息せり。・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 西は入り江の口、水狭くして深く、陸迫りて高く、ここを港にいかりをおろす船は数こそ少ないが形は大きく大概は西洋形の帆前船で、その積み荷はこの浜でできる食塩、そのほか土地の者で朝鮮貿易に従事する者の持ち船も少なからず、内海を行き来する和船・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・山の麓に見ゆるは土河内村なり、谷迫りて一寰区をなしことさらに世と離れて立つかのごとく見ゆ、かつて山の頂より遠くこの村を望み炊煙の立ちのぼるを見てこの村懐かしくわれは感じぬ。村に近づくにつれて農夫ら多く野にあるを見たり。静けき村なるかな。小児・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・段と昼になったり夜になったりする迫りつめた時をいうのであって、とかくに魚は今までちっとも出て来なかったのが、まづみになって急に出て来たりなんかするものです。吉の腹の中では、まづみに中てたいのですが、客はわざとその反対をいったのでした。 ・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・其の癖随分贅沢を致しますから段々貧に迫りますので、御新造が心配をいたします。なれども当人は平気で、口の内で謡をうたい、或はふいと床から起上って足踏をいたして、ぐるりと廻って、戸棚の前へぴたりと坐ったり何か変なことをいたし、まるで狂人じみて居・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・あの『一夕観』なんかになると、こう激し易かったり、迫り易かったりした北村君が、余程広い処へ出て行ったように思われる。けれども惜しい事に、そういう広い処へ出て行った頃には、身体の方はもう余程弱っていた。国府津時代に書いたものは皆味の深いものば・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・よ/\深くして清く静かなる里のさまいとなつかしく、願わくば一度は此処にしばらくの仮りの庵を結んで篁の虫の声小田の蛙の音にうき世の塵に汚れたる腸すゝがんなど思ううち汽車はいつしか上り坂にかゝりて両側の山迫り来る。山田の畔にしれいのごとき草花面・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・天プラや、すしなどがあんなに恐ろしい鬼気をもって人に迫り得るという事を始めてこの画から教えられる。 このままでだんだんに進んで行くところまで行ったら意外な面白いところに到達する可能性があるかもしれない。 中川紀元氏の今年の裸体は・・・ 寺田寅彦 「二科会その他」
本月の「趣味」に田山花袋君が小生に関してこんな事を云われた。――「夏目漱石君はズーデルマンの『カッツェンステッヒ』を評して、そのますます序を逐うて迫り来るがごとき点をひどく感服しておられる。氏の近作『三四郎』はこの筆法で往・・・ 夏目漱石 「田山花袋君に答う」
・・・学者はこの重大至難なる責に当るも、なおかつこれをかえりみず、区々たる政府に迫りてただちに不平を訴え、ますますその拙陋を示さんと欲するか。事物の難易軽重を弁ぜざる者というべし。 ゆえにいわく、今の時にあたりては、学者は区々たる政府の政を度・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
出典:青空文庫