・・・夏目さんは大抵一時間の談話中には二回か三回、実に好い上品なユーモアを混える人で、それも全く無意識に迸り出るといったような所があった。 また夏目さんは他人に頼まれたことを好く快諾する人だったと思う。随分いやな頼まれごとでも快く承諾されたの・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・と荒々しき声はついに迸りぬ。私はもう聞く耳を持たんぞ。何だ。出過ぎたことを。 あら父様、お怒りなすったの。綱雄さんだって悪気で言ったのではありませんよ。何ですねえそんな顔をなすって。 ええ引ッ込んでいろ。手前の知ったことではないわ。・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・紫の焔が迸り出たようだった。怒ったのだ。「…………」「然程に物惜みなされて、それが何の為になり申す。」「何の為にもなり申さぬ。」と憎いほど悠然と明白に云って退けた。右膳は呆れさせられたが、何の為にもなり申さぬと云った言葉は虚・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・それを漬ける手伝いしていると、水道の栓から滝のように迸り出る水が流し許に溢れて、庭口の方まで流れて行った。おげんは冷たい水に手を浸して、じゃぶじゃぶとかき廻していた。 看護婦は驚いたように来て見て、大急ぎで水道の栓を止めた。「小山さ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・次にチョッキの隠袋から、何か小さなものを出して、火縄でそれに点火したのを、手早く筒口から投げ入れると、半秒足らずくらいの後に、爆然と煙が迸り出て、鈍い爆音が聞える。煙が綺麗な渦の環になってフワフワと上がって行く、すると高い所で弾が爆発して、・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・遠慮のない声が、その女のひとの唇から迸り出た。そして、「おもちいたしますわ」と鞄をうけとった。「近頃、大分御活動だそうですね」「あら、誰からおききになりまして、そうでもございませんわ」然し、その女のひとは、電車の隅々までよくとおる声を低めず・・・ 宮本百合子 「その源」
・・・あっていた女としての本来は健全な性的欲求と、女がこの社会で女であるために受けて行かなければならない常套的な結婚生活における様々の半奴隷的事情、因習に対する断乎たる闘争の決心との間の心理的な相剋葛藤から迸り出ているのである。 西部の人とし・・・ 宮本百合子 「中国に於ける二人のアメリカ婦人」
・・・過去十数年に亙った政府の精神圧殺方針に対して堅い内部抵抗の力を保っていて、今日、将に、その重石がとれ、生新溌剌な圧力の高い迸りを見せている部分も、明らかに存在している。だがこの節の一般文化面を見わたしたとき、私たちの率直な感想は、どうだろう・・・ 宮本百合子 「「どう考えるか」に就て」
・・・生きるために働きながら、却ってその働きによって現実には死に追いやられようとする男女の苦痛と反抗が、詩となって迸り、小説となって湧き出す。それが、今日の社会の現実によって新たなものとされつつある新しい文学の社会的な基礎とその内容である。「・・・ 宮本百合子 「見落されている急所」
・・・ところどころに清泉迸りいでて、野生の撫子いと麗しく咲きたり。その外、都にて園に植うる滝菜、水引草など皆野生す。しょうりょうという褐色の蜻あり、群をなして飛べり。日暮るる頃山田の温泉に着きぬ。ここは山のかいにて、公道を距ること遠ければ、人げす・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫