・・・事務所からは最後の手段として多少の損はしても退場さすと迫って来た。しかし彼れは頑として動かなかった。ペテンにかけられた雑穀屋をはじめ諸商人は貸金の元金は愚か利子さえ出させる事が出来なかった。 「まだか」、この名は村中・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・戸部を残し一同退場。戸部しきりとサインをしている。とも子花を持ちて入場。とも子 あの、ごめんくださいまし……戸部 ともちゃん……俺だ……俺だ……とも子 あら……あなた戸部さんじゃなくって。戸部 俺は君のハズで・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・往来のなきを幸に、人目を忍び彳みて、仮色使の退場する時、早瀬お蔦と立留る。お蔦 貴方……貴方。早瀬 ああ。お蔦 いい、月だわね。早瀬 そうかい。お蔦 御覧なさいな、この景色を。早瀬 ああ、・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・すなわち、呆然として退場しなければならぬ。気を取りなおして、よし、もういちど、と更に戸外の長蛇の如き列の末尾について、順番を待つ。これを三度、四度ほど繰り返して、身心共に疲れてぐたりとなり、ああ酔った、と力無く呟いて帰途につくのである。国内・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・の役割を以て登場しながら、最後まで退場しない男もいる。小さい遺書のつもりで、こんな穢い子供もいましたという幼年及び少年時代の私の告白を、書き綴ったのであるが、その遺書が、逆に猛烈に気がかりになって、私の虚無に幽かな燭燈がともった。死に切れな・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・の役割を以て登場しながら、最後まで退場しない男もいる。小さい遺書のつもりで、こんな穢い子供もいましたという幼年及び少年時代の私の告白を、書き綴ったのであるが、その遺書が、逆に猛烈に気がかりになって、私の虚無に幽かな燭燈がともった。死に切れな・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・学童、無言で野中教師にお辞儀をし、上手の出入口から退場。野中は、それを見送り、しばらくぼんやりしている。やがて、ゆっくり教壇の方に歩いて、教壇に上り、黒板拭きをとって、黒板の文字を一つ一つ念入りに消す。消しながら、やがて小声・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・ああ、退場した。」ドアをぴたとしめて、青年の顔をちらと見て、不敵に笑い、「うまい! 落ちついていやがる。あいつは、まだまだ、大物になれる。しめたものさ。なにせ、あいつは、こわいものを知らない女ですからな。」「あなたは、毎日、見に来ている・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・とわめきながら退場するのは最も同情すべき役割であり、この喜劇での儲け役であろう。 さていよいよ夕刊売りの娘に取っときの切り札、最後の解決の鍵を投げ出させる前に、もう一つだけ準備が必要である。それは真犯人の旧騎士吉田を今の新聞記者吉田に仕・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・しかのみならずどの室にも荷物が抛り込んであってまるで類焼後の立退場のようだ。ただ我輩の陣取るべき二階の一間だけが少しく方付てオラレブルになっている。以前の部屋よりも奇麗だ。装飾もまず我慢できる。やがて亭主が出て来て窓掛をコツコツ打ちつける。・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
出典:青空文庫