・・・われとわが亡友との間、半透明の膜一重なるを感じた。 そうでない、ただかれは疲れはてた。一杯の水を求めるほどの気もなくなった。 豊吉は静かに立ち上がって河の岸に下りた。そして水の潯をとぼとぼとたどって河下の方へと歩いた。 月はさえ・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・青い煙、白い煙、目の先に透明に光って、渦を巻いて消えゆく。「オヤ、あれは徳じゃないか。」と石井翁は消えゆく煙の末に浮かび出た洋服姿の年若い紳士を見て思った。芝生を隔てて二十間ばかり先だから判然しない。判然しないが似ている。背格好から・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・青黒く透明な鉱泉からは薄い湯気が立っていた。先生は自然と出て来る楽しい溜息を制えきれないという風に、心地の好い沸かし湯の中へ身を浸しながら、久し振で一緒に成った高瀬を眺めたり、田舎風な浅黄の手拭で自分の顔の汗を拭いたりした。仮令性質は冷たく・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・このときの思い出だけは、霞が三角形の裂け目を作って、そこから白昼の透明な空がだいじな肌を覗かせているようにそんな案配にはっきりしている。祖母は顔もからだも小さかった。髪のかたちも小さかった。胡麻粒ほどの桜の花弁を一ぱいに散らした縮緬の着物を・・・ 太宰治 「玩具」
・・・強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。 隣室の主人にお知らせしようと思い、あなた、と言いかけると直ぐ・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・その怪物の透明な肢体の各部がいろいろ複雑微妙な運動をしている。しかしわれわれ愚かな人間にはそれらの運動が何を意味するか、何を目的としているか全くわからない。わからないから見ていて恐ろしくなりすごくなる。哀れな人間の科学はただ茫然として口をあ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・しかも、これによって、生きている人をそのままに透明な幽霊にして壁へでもなんでもぺたぺたと張り付けあるいは自由に通り抜けさせることができるのである。 映画における空間の特異性はこの二次元性だけではない。これに劣らず重要なことは、その空間の・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・往来の上に縦横の網目を張っている電線が透明な冬の空の眺望を目まぐるしく妨げている。昨日あたり山から伐出して来たといわぬばかりの生々しい丸太の電柱が、どうかすると向うの見えぬほど遠慮会釈もなく突立っている。その上に意匠の技術を無視した色のわる・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・「純透明だね」と出臍の先生は、両手に温泉を掬んで、口へ入れて見る。やがて、「味も何もない」と云いながら、流しへ吐き出した。「飲んでもいいんだよ」と碌さんはがぶがぶ飲む。 圭さんは臍を洗うのをやめて、湯槽の縁へ肘をかけて漫然と・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・象牙を半透明にした白さである。この嘴が粟の中へ這入る時は非常に早い。左右に振り蒔く粟の珠も非常に軽そうだ。文鳥は身を逆さまにしないばかりに尖った嘴を黄色い粒の中に刺し込んでは、膨くらんだ首を惜気もなく右左へ振る。籠の底に飛び散る粟の数は幾粒・・・ 夏目漱石 「文鳥」
出典:青空文庫