・・・木材を満載したその荷馬車の車輪が道路の窪みの深い泥に喰い込んで動かなくなったのを、通行人が二人手を貸して動かそうとしていた。やっと動き出したので手をはなすと、馬士一人の力ではやはり一寸も動かない。「どうかもう少し願います。後生だから……」そ・・・ 寺田寅彦 「断片(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・その結果から、「左側通行」の規則が、どの程度まで市民の頭にしみ込んでいるかを判断する一つの目安を定めることも可能である。 地理学のほうでは人口の分布や農耕範囲の問題などについて、興味ある物理学的統計学的研究をしている少壮学者もある。これ・・・ 寺田寅彦 「物質群として見た動物群」
・・・これだけの実証はどうする事も出来ない。これだけの通行券を握って私は初老の関所を通過した。そしてすぐ眼の前にある厄年の坂を越えなければならなかった。 厄年というものはいつの世から称え出した事か私は知らない。どういう根拠に依ったものかも分ら・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・然し当時に在っては、不忍池の根津から本郷に面するあたりは殊にさびしく、通行の人も途絶えがちであった。ここに雁の叙景文を摘録すれば、「其頃は根津に通ずる小溝から、今三人の立つてゐる汀まで、一面に葦が茂つてゐた。其葦の枯葉が池の中心に向つて次第・・・ 永井荷風 「上野」
・・・掲示は通行の妨害になるから橋の上で釣をすることを禁ずるというのである。しかしわたくしは橋の欄干に身を倚せ、見えぬながらも水の流れを見ようとした時、風というよりも頬に触れる空気の動揺と、磯臭い匂と、また前方には一点の燈影も見えない事、それらに・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・東西南北ことごとく道路で、ことごとく通行すべきはずで、大切と云えばことごとく大切であります。 四種の理想は分化を受けます。分化を受けるに従って変形を生じます。変形を生じつつ進歩する機会を早めます。この変形のうち、もっとも新しい理想を実現・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・それは歩行する人以外に、物音のする車馬の類が、一つも通行しないためであった。だがそればかりでなく、群集そのものがまた静かであった。男も女も、皆上品で慎み深く、典雅でおっとりとした様子をしていた。特に女性は美しく、淑やかな上にコケチッシュであ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・其処らの叢にも路にもいくつともなく牛が群れて居るので余は少し当惑したが、幸に牛の方で逃げてくれるので通行には邪魔にならなかった。それからまた同じような山路を二、三町も行た頃であったと思う、突然左り側の崖の上に木いちごの林を見つけ出したのであ・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。」「何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えな・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・こんなときにはお母さんが勧誘して歩くのにまけまいと、少女達も、小さな穴の明いた箱を抱えて、通行する人達に「叔父さん、入れて頂戴、リバテーボンドです。私達の国のために!」と声をかけて勧めて居りました。もう沢山自由公債に応じた人でも、こ・・・ 宮本百合子 「わたくしの大好きなアメリカの少女」
出典:青空文庫