・・・ 中には二三本首を傾げて注意しているようなものもあったが、たいていは無雑作な一瞥を蒙ったばかしで、弟子の手へ押しやられた。十七点の鑑定が三十分もかからずにすんだ。その間耕吉は隠しきれない不安な眼つきに注意を集めて、先生の顔色を覗っていた・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・女の人の造作をとやかく思うのは男らしくないことだと思いました。もっと温かい心で見なければいけないと思いました。然し調和的な気持は永く続きませんでした。一人相撲が過ぎたのです。 私の眼がもう一度その婦人を掠めたとき、ふと私はその醜さのなか・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・ 何時自分が東京を去ったか、何処を指して出たか、何人も知らない、母にも手紙一つ出さず、建前が済んで内部の雑作も半ば出来上った新築校舎にすら一瞥もくれないで夜窃かに迷い出たのである。 大阪に、岡山に、広島に、西へ西へと流れて遂にこの島・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 客は無雑作に、「奥さん。トいう訳だけで、ほかに何があったのでも無いのですから、まわり気の苦労はなさらないでいいのですヨ。おめでたいことじゃありませんかネ、ハハハ。」と朗かに笑った。ここの細君は今はもう暗雲を一掃されてしまって、・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・それでも家賃が高過ぎると思うなら、今少しは引いてもいいと言われるほど長く空屋になっていた古い家で、造作もよく、古風な中二階などことにおもしろくできていたが、部屋が多過ぎていまだに借り手がないとのこと。よっぽど私も心が動いて帰って来たが、一晩・・・ 島崎藤村 「嵐」
近頃相川の怠ることは会社内でも評判に成っている。一度弁当を腰に着けると、八年や九年位提げているのは造作も無い。齷齪とした生涯を塵埃深い巷に送っているうちに、最早相川は四十近くなった。もともと会社などに埋れているべき筈の人で・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・そう云う人さえいれば、私共が暇で友達でも欲しくなれば、雑作もなく得られます。 プラタプの何よりの大望と云うのは、魚を捕えることでした。彼は此為には沢山の時間を無駄につぶし、殆ど毎日、昼から釣をしている姿の見えぬ事はありません。彼がスバー・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・最初、お照が髪を梳いて抜毛を丸めて、無雑作に庭に投げ捨て、立ち上るところがありますけれど、あの一行半ばかりの描写で、お照さんの肉体も宿命も、自然に首肯出来ますので、思わず私は微笑みました。庭の苔の描写は、余計のように思われましたけれど、なお・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・という軍人専用の煙草を百本とにかく、百本在中という紙包とかえられて、私はその大尉のズボンのポケットに無雑作にねじ込まれ、その夜、まちはずれの薄汚い小料理屋の二階へお供をするという事になりました。大尉はひどい酒飲みでした。葡萄酒のブランデーと・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・食糧箱の表面は一面に柔らかい凝霜でおおわれていて、見ただけではどれがなんだかわからないが、糧食係の男は造作もなく目的の箱を見いだして、表面の凝霜をかきのけてからふたを開き中味を取り出す。この廊下一面の凝霜の少なくも一部分は、隊員四十余名の口・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫