・・・物心のついた時には父は遠島になっていて母ばかりの暮らしだったので、十二の時にもう元服して、お米倉の米合を書いて母と子二人が食いつないだもんだった。それに俺しには道楽という道楽も別段あるではなし、一家が暮らして行くのにはもったいないほどの出世・・・ 有島武郎 「親子」
・・・父の父、すなわち私たちの祖父に当たる人は、薩摩の中の小藩の士で、島津家から見れば陪臣であったが、その小藩に起こったお家騒動に捲き込まれて、琉球のあるところへ遠島された。それが父の七歳の時ぐらいで、それから十五か十六ぐらいまでは祖父の薫育に人・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・「君の弟さんには会ったことがないからどんな性格の人物かわからんが、あるいはこれを機会に、君へ遠島を仰せつけた気でいるんじゃないかい? そうだと困るね」 芳本は日増に不快と焦燥の念に悩まされて、暗い顔してうっそりかまえている耕吉に、毎・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・罪一等を減じてあげよう。遠島じゃ。ドミチウスを大事にするがよい。 アグリパイナは、ネロと共に艦に乗せられ、南海の一孤島に流された。 単調の日が続いた。ネロは、島の牛の乳を飲み、まるまると肥えふとり、猛く美しく成長した。アグリパイナは・・・ 太宰治 「古典風」
・・・沢山の隠れた罪悪と御殿女中の不自然な生活から来る破廉恥な行為とは、画家英一蝶に一枚の諷刺画を描かせ、彼はそのために遠島の刑にあった。徳川時代の婦人達はやはり権謀術数の手段として、人間の女性としての本性を踏み躙った性的関係に置かれたのであった・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞いをすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ回されることであった。それを護送するのは・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・ 徳川時代には京都の罪人が遠島を言い渡されると、高瀬舟で大阪へ回されたそうである。それを護送してゆく京都町奉行付の同心が悲しい話ばかり聞かせられる。あるときこの舟に載せられた兄弟殺しの科を犯した男が、少しも悲しがっていなかった。その子細・・・ 森鴎外 「高瀬舟縁起」
出典:青空文庫