・・・徳川幕府が仏蘭西の士官を招聘して練習させた歩兵の服装――陣笠に筒袖の打割羽織、それに昔のままの大小をさした服装は、純粋の洋服となった今日の軍服よりも、胴が長く足の曲った日本人には遥かに能く適当していた。洋装の軍服を着れば如何なる名将といえど・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・そして遥か東の方に小塚ッ原の大きな石地蔵の後向きになった背が望まれたのである。わたくしはもし当時の遊記や日誌を失わずに持っていたならば、読者の倦むをも顧ずこれを採録せずにはいなかったであろう。 わたくしは遊廓をめぐる附近の町の光景を説い・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・余が桜の杖に頤を支えて真正面を見ていると、遥かに対岸の往来を這い廻る霧の影は次第に濃くなって五階立の町続きの下からぜんぜんこの揺曳くものの裏に薄れ去って来る。しまいには遠き未来の世を眼前に引き出したるように窈然たる空の中にとりとめのつかぬ鳶・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・それから直接に官能に訴える人巧的な刺激を除くと、この巣の方が遥かに意義があるように思われるんだから、四辺の空気に快よく耽溺する事ができないで迷っちまいます。こんな中腰の態度で、芝居を見物する原因は複雑のようですが、その五割乃至七割は舞台で演・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・物理、新たに発明するを得ず、その実施の時代にいたるには前途なお遥かなりというべし。たとえば医学の如きは、日本にてその由来も久しく、したがってその術も他の諸科に超越するものなれども、今日の有様を見れば、西洋の日新を逐うて、つねに及ばざるの嘆を・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・彼が新言語を用うるに先だつ百四、五十年前に芭蕉一派の俳人は、彼が用いしよりも遥かに多き新言語を用いたり。彼の歌想は他の歌想に比して進歩したるところありとこそいうべけれ、これを俳句の進歩に比すれば未だその門墻をも覗い得ざるところにあり。俳人の・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・大急ぎに山を下りながら、遥かの木の間を見下すと、麓の村に夕日の残っておるのが画の如く見えた。あそこいらまではまだなかなか遠い事であろうと思われて心細かった。 明治廿八年の五月の末から余は神戸病院に入院して居った。この時虚子が来てくれてそ・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・その笑い声の洪水は空を流れて遥かに遥かに南へ行ってねぼけた雷のようにとどろいた。「うん、そうだ、もうあまり、おれたちのがらにもない小理窟は止そう。おれたちのお父さんにすまない。お父さんは九つの氷河を持っていらしゃったそうだ。・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・ただ遥かにかの西方の覚者救済者阿弥陀仏に帰してこの矛盾の世界を離るべきである。それ然る後に於て菜食主義もよろしいのである。この事柄は敢て議論ではない、吾等の大教師にして仏の化身たる親鸞僧正がまのあたり肉食を行い爾来わが本願寺は代々これを行っ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・床の間の前へ行って据わると、それ、御託宣だと云うので、箕村は遥か下がって平伏するのだ。」「箕村というのは誰だい。」「箕村ですか。あの長浜へ出る処に小児科病院を開いている男です。前の細君が病気で亡くなって忌中でいると、ある日大きな鯛を・・・ 森鴎外 「独身」
出典:青空文庫