・・・……お君が嫁いだ後、金助は手伝い婆さんを雇って家の中を任せていたのだが、選りによって婆さんは腰が曲り、耳も遠かった。「このたびはえらい御不幸な……」 と挨拶した婆さんに抱いていた子供を預けると、お君は一張羅の小浜縮緬の羽織も脱がず、・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、選りに選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、千里眼のように思い浮かんで来るのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわか・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
・・・かしこの山ここの川から選り集めた名園の一石一木の排置をだれが自由に一寸でも動かしうるかを考えてみればよい。しかもこれらのいっさいを一束にしても天秤は俳諧連句のほうへ下がるであろう。 連句はその末流の廃頽期に当たって当時のプチブルジョア的・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 次は当然法廷の場である、憎まれ役の検事になるべく意地のわるい弁論をさせて、被告と見物に気をもませ、被告に不利な証人だけを選りぬいて登場させる、弁護士にはなるべく口が利けないようにするが、但し後の伏線になるようにアパートの時計が二十分進・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・これはことごとく平田から来たのばかりである、捻紙を解いて調べ初めて、その中から四五本選り出して、涙ながら読んで涙ながら巻き納めた。中には二度も三度も読み返した文もあッた。涙が赤い色のものであッたら、無数の朱点が打たれたらしく見えた。 こ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ ピエエルは郵便を選り分けた。そしてイソダン郵便局の消印のある一通を忙わしく選り出して別にした。しかしすぐに開けて読もうともしない。 オオビュルナン先生はしずかに身を起して、その手紙を持って街に臨んだ窓の所に往って、今一応丁寧に封筒・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・一本選り取って見たら、頬冠した親爺が包を背負って竹皮包か何かを手に提げて居るのであった。 それから復鶩の飼うてある処を通って左千夫の家に立ちよったが主人はまだ帰らぬという事であった。いっそこのまま帰ろうかとも思うて門の内で三人相談して居・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・泥まみれの選り食いも好かろう。だがな、そんな問題が起るたびに部署をすてたんじゃ、限りない退却があるばかりだ。俺はそんな敗北主義には賛成しないな」 やがて若い階級的な妻である女は、自分が良人のところへかけ込んだことを自己批判し、終局に「物・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・そして直ぐぶつぶつ、箕をふいて籾選りを仕つづけた。 それにしても雨降りよりは増しだ。 雨だと一太は納豆売りに出なかった。学校へ行かない一太は一日家に凝っとしていなければならないが、毎日野天にいることが多い一太にとってそれは実に退屈だ・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ 自分達の周囲には、不幸なものや、恐ろしい目に幾度も幾度も出喰わさなければならなかったものが、ウジャウジャ居るにもかかわらず、此の自分達は選りに選った様に、たった一度の不吉な事にも恐ろしい事にも出会う事なしに過ぎて来たのだと云うことは、・・・ 宮本百合子 「一条の繩」
出典:青空文庫