・・・ 避ける間隙も無かった。彼女は以前の夫の方を振向いた。大塚さんはハッと思って、見たような見ないような振をしながら、そのまま急ぎ足に通り過ぎたが、総身電気にでも打たれたように感じた。「おせんさん――」 と彼女の名を口中で呼んで・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・小走りに百姓家の軒下へ避ける。そこには土間で機を織っている。小声で歌を謡っている。「おおい」と言って馬を曳いた男が立ちどまる。藁の男は足早に同じ軒下へ避ける。馬は通り抜ける。蜜柑を積んでいる。 と、「まあ誰ぞいの」と機を織ってい・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 父も母も、この長男について、深く話し合うことを避ける。白痴、唖、……それを一言でも口に出して言って、二人で肯定し合うのは、あまりに悲惨だからである。母は時々、この子を固く抱きしめる。父はしばしば発作的に、この子を抱いて川に飛び込み死ん・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・疎開先の青森から引き上げて来て、四箇月振りで夫と逢った時、夫の笑顔がどこやら卑屈で、そうして、私の視線を避けるような、おどおどしたお態度で、私はただそれを、不自由なひとり暮しのために、おやつれになった、とだけ感じて、いたいたしく思ったものだ・・・ 太宰治 「おさん」
・・・この男の通らぬことはいかな日にもないので、雨の日には泥濘の深い田畝道に古い長靴を引きずっていくし、風の吹く朝には帽子を阿弥陀にかぶって塵埃を避けるようにして通るし、沿道の家々の人は、遠くからその姿を見知って、もうあの人が通ったから、あなたお・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・それを避けるために隣室で立ち聞く人を映したりして単調を防ぐ必要が起こって来る。 それよりも困ったことには国語の相違ということが有声映画の国際的普遍性を妨げる。無声映画を「聞」いていた観客は、有声になったために聾になってしまった。 こ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・そしてなでられたくない人は、自由にそれを避ける事ができる。人の門内や玄関まで押しかけて来ない。その点でも市会議員の選挙運動などよりはよほど穏やかでいいものである。 政党の宣伝などに行なわるる手段方法については多くを知らないが、いずれにし・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・すると霊岸町の手前で、田舎丸出しの十八、九の色の蒼い娘が、突然小間物店を拡げて、避ける間もなく、私の外出着の一張羅へ真正面に浴せ懸けた。私は詮すべを失った。娘の兄らしい兵隊は無言で、親爺らしい百姓が頻に詫びた。娘は俯向いてこそこそと降りた。・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・之を避けるには便所へでも行くふりをして烟の如く姿を消してしまうより外はない。当時の無頼漢は一見して、それと知られる風俗をしていた。身幅のせまい唐桟柄の着物に平ぐけをしめ、帽子は戴かず、言葉使は純粋の町言葉であった。三十年を経て今日銀座のカッ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・その理由は無論明白な話で、前詳しく申上げた開化の定義に立戻って述べるならば、吾々が四五十年間始めてぶつかった、また今でも接触を避ける訳に行かないかの西洋の開化というものは我々よりも数十倍労力節約の機関を有する開化で、また我々よりも数十倍娯楽・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫