昭和二年の冬、酉の市へ行った時、山谷堀は既に埋められ、日本堤は丁度取崩しの工事中であった。堤から下りて大音寺前の方へ行く曲輪外の道もまた取広げられていたが、一面に石塊が敷いてあって歩くことができなかった。吉原を通りぬけて鷲神社の境内に・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・あッちでも始まればこッちでも始まる。酉の市は明後日でござい。さア負けたア負けたア、大負けにまけたアまけたア」と、西宮は理も分らぬことを言い、わざとらしく高く笑うと、「本統に馬鹿にしていますね」と、吉里も笑いかけた。「戯言は戯言だが、さッ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・今その上さんが熊手持って忙しそうに帰って行くのは内に居る子供が酉の市のお土産でも待って居るのかとも見えるがそうではない。この夫婦には子は一人もないのでこの上さんは大きな三毛猫を一匹飼うて子よりも大事にして居る。しかし猫には夕飯まで喰わして出・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
出典:青空文庫