・・・大船近くの土堤の桜はもうすっかり青葉になっており、将来の日本ハリウード映画都市も今ではまだ野良犬の遊び場所のように見受けられた。茅ヶ崎駅の西の線路脇にチューリップばかり咲揃った畑が見えた。つい先日バラの苗やカンナの球根を注文するために目録を・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・何処から迷込んだとも知れぬ痩せた野良犬の、油揚を食って居る処を、家の飼犬が烈しく噛み付いて、其の耳を喰切った事がある。一家中、何時とはなく、狐は何処へか逃げてしまった。狐ではなく、あれも矢張り野良犬であったのかも知れぬと、自然に安堵の色を見・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ところで近頃僕の家の近辺で野良犬が遠吠をやり出したんだ。……」「犬の遠吠と婆さんとは何か関係があるのかい。僕には聯想さえ浮ばんが」と津田君はいかに得意の心理学でもこれは説明が出来悪いとちょっと眉を寄せる。余はわざと落ちつき払って御茶を一・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・「パッピー、パッピー」と手を出すと、黒いぬれた鼻をこすりつけて、一層盛に尾を振る。「野良犬ではないらしいわね。どうなすったの?」「つい其処に居たんだ。通る人だれの足許にでもついてゆきそうにして居た。ね、パプシー」・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・ といきなり街道からかけ込んで来た、これも又あまり豊かな生活は仕得られないらしい野良犬は、はげしい勢をもって、その狼に近づいた様な牙をむきだして鶏の群に飛びついた。 食物に我を忘れて居た鶏共は、不意に敵の来襲をうけてどうする余地もな・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・そこでは野良犬や野良猫が生きて、死んでゆき、それらの犬猫の死骸の臭いが、雨や風の音の下で漂っている。 飢えないためにゴーリキイはヴォルガへ、波止場へ出かけて行った。独特な「私の大学」時代が始まった。波止場で十五哥、二十哥を稼ぐことは容易・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫