・・・しかしその野蛮な戯れは都会の退屈な饒舌にも勝って彼を悦ばせた。彼はしばらくこの地方に足を留め、心易い先生方の中で働いて、もっともっと素朴な百姓の生活をよく知りたいと言った。谷の向うの谷、山の向うの山に彼の心は馳せた。 それから二年ば・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・あの先生には泥だらけな護謨靴でも何でもはいて、魚河岸を馳け廻って来るような野蛮なところがあります。お母さんの前ですが、私にはそういうものが欠けています」「お前さんはちいさい時分から祖母さんに可愛がられて、あの祖母さんに仕込まれて、あたし・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・大隅君は、野蛮な人ではない。厳父は朝鮮の、某大学の教授である。ハイカラな家庭のようである。大隅君は独り息子であるから、ずいぶん可愛がられて、十年ほど前にお母さんが死んで、それからは厳父は、何事も大隅君の気のままにさせていた様子で、謂わば、お・・・ 太宰治 「佳日」
・・・然し、ぼくは野蛮でたくましくありたいのです。現在ぼくの熱愛している世界はどの作家にもありません。ドストエフスキイが一番好きです。ぼくのこのみの平凡さを軽ベツしないで下さい。ぼくは今年こそ、なにか、書きたいと思っています。だが、小説に、人生に・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・音楽舞踊はいかなる野蛮民族の間にも現存する。建築や演劇でも、いずれもかなりな灰色の昔にまでその発達の径路をさかのぼる事ができるであろう。マグダレニアンの壁画とシャバンヌの壁画の間の距離はいかに大きくとも、それはただ一筋の道を長くたどって来た・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・それだからこれは野蛮民の戦争踊りが野蛮民に訴えると同じ意味において最高の芸術でなければならないのである。これと同じ意味においてまたわが国の剣劇の大立ち回りが大衆の喝采を博するのであろう。荒木又右衛門が三十余人を相手に奮闘するのを見て理屈抜き・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・弱きを滅す強き者の下賤にして無礼野蛮なる事を証明すると共に、滅される弱き者のいかほど上品で美麗であるかを証明するのみである。自己を下賤醜悪にしてまで存在を続けて行く必要が何処にあろう。潔よく落花の雪となって消るに如くはない。何に限らず正当な・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変りはなさそうである事は前御話しした通りである上・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・極の野蛮時代で人のお世話には全くならず、自分で身に纏うものを捜し出し、自分で井戸を掘って水を飲み、また自分で木の実か何かを拾って食って、不自由なく、不足なく、不足があるにしても苦しい顔もせずに我慢をしていれば、それこそ万事人に待つところなき・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
上 日清戦争が始まった。「支那も昔は聖賢の教ありつる国」で、孔孟の生れた中華であったが、今は暴逆無道の野蛮国であるから、よろしく膺懲すべしという歌が流行った。月琴の師匠の家へ石が投げられた、明笛を吹く青年等は非国民として擲られた・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
出典:青空文庫