・・・だがその芝居は、重吉の経験した戦争ではなく、その頃錦絵に描いて売り出していた「原田重吉玄武門破りの図」をそっくり演じた。その方がずっと派手で勇ましく、重吉を十倍も強い勇士に仕立てた。田舎小屋の舞台の上で重吉は縦横無尽に暴れ廻り、ただ一人で三・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・細君の丸帯から出来た繻珍ズボンをはいて、謹厳な面持で錦絵によくある房附きの赤天鵞絨ばりの椅子にでもかけていただろう祖父の恰好を想像すると、明治とともに心から微笑まれるものがある。 祖父は自分としては学者として一貫して生きようとしたようだ・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 風呂場のわきにかなり大きい池があって、その水の面は青みどろで覆われ、土蔵に錦絵があったり、茶の間にはお灸の匂いが微かにのこっているという風な向島の家は、陰気でいつもいろいろのごたごたがあった。 向島のおばあさんと母とが、林町のうち・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・二人は机の前にならんで坐って私の御秘蔵の本の差画や錦絵を見せた。ほそい細工もののような指さきでそれを一枚一枚まくって居る御仙さんはまるで人形のようなこのまんま年を取らせずに世間を知らせずにかざっておきたいほど美くしく見えて居た。私はそのうし・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・ 古い錦絵、紙人形、赤いつまみの櫛の歯の黒髪、これだけの間に切ってもきれないつながりがある様に――又その間からしおらしい物語りが湧いて来はしまいかと思われた。 雨のささやきに酔った様にお敬ちゃんは、机につっぷしてかすかな息を吐いて夢・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫