・・・川の上へたぐり下し、下を船がとおりかかったらその中へ落すつもりでまっているうちに、つい火気で目がくらんで子どもをはなしてしまい、じぶんも間もなく橋と一しょに落ちこんで流れていったのだと話していました。隅田川にかかっていた橋は、両国橋のほかは・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・なにか、陰惨な世界を見たくて、隅田川を渡り、或る魔窟へ出掛けて行ったときなど、私は、その魔窟の二三丁てまえの小路で、もはや立ちすくんで了った。その世界から発散する臭気に窒息しかけたのである。私は、そのようなむだな試みを幾度となく繰り返し、そ・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・私は、呼吸を止めてそれに見入った。隅田川。浅草。牛込。赤坂。ああなんでも在る。行こうと思えば、いつでも、すぐに行けるのだ。私は、奇蹟を見るような気さえした。 今では、此の蚕に食われた桑の葉のような東京市の全形を眺めても、そこに住む人、各・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・言問橋から遊び仲間を隅田川へ突き落したのである。直接の理由はなかった。ピストルを自分の耳にぶっ放したい発作とよく似た発作におそわれたのであった。突きおとされた豆腐屋の末っ子は落下しながら細長い両脚で家鴨のように三度ゆるく空気を掻くようにうご・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・第二次の実験は隅田川の艇庫前へ持って行ってやったのだが、その時に仲間の一人が、ボイラーをかついで桟橋から水中に墜落する場面もあって、忘れ難い思い出の種になっている。 墜落では一つの思い出がある。三年生の某々二君と、池の水温分布を測った事・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・また広重をして新東京百景や隅田川新鉄橋めぐりを作らせるのも妙であろうし、北斎をして日本アルプス風景や現代世相のページェントを映出させるのもおもしろいであろう。そうしてこれらの新日本映画が逆にちょうど江戸時代の浮世絵のごとく、欧米に輸出される・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・鉄門という言葉は明治時代の隅田川のボートレースと土手の桜を思い出させる。鉄門が無くなって、隅田堤がコンクリートで堅まれば、ボートレースの概念もやはり変って来る。明治の隅田川はもうなくなった。ただの荒川下流になった。 またある日。 本・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・線の細かい広重の隅田川はもう消えてしまった代わりに、鉄とコンクリートの新しい隅田川が出現した。そうしてそれが昔とはちがった新しい美しさを見せているのである。少し霧のかかった日はいっそう美しい。 邦楽座わきの橋の上から数寄屋橋のほうを、晴・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・ この文を読んで、現在はセメントの新道路が松竹座の前から三ノ輪に達し、また東西には二筋の大道路が隅田川の岸から上野谷中の方面に走っているさまを目撃すると、かつて三十年前に白鷺の飛んでいたところだとは思われない。わたくしがこの文につい・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ わたくしはふと大正二、三年のころ、初て木造の白髯橋ができて、橋銭を取っていた時分のことを思返した。隅田川と中川との間にひろがっていた水田隴畝が、次第に埋められて町になり初めたのも、その頃からであろうか。しかし玉の井という町の名は、まだ・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
出典:青空文庫