・・・ かかる少年時代の感化によって、自分は一生涯たとえ如何なる激しい新思想の襲来を受けても、恐らく江戸文学を離れて隅田川なる自然の風景に対する事は出来ないであろう。 鐘ヶ淵の紡績会社や帝国大学の艇庫は自分がまだ隅田川を知らない以前から出・・・ 永井荷風 「夏の町」
隅田川の両岸は、千住から永代の橋畔に至るまで、今はいずこも散策の興を催すには適しなくなった。やむことをえず、わたくしはこれに代るところを荒川放水路の堤に求めて、折々杖を曳くのである。 荒川放水路は明治四十三年の八月、都下に未曾有の・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・西のフレデリック・ミストラル、白耳義のジョルヂ・エックー等の著作をよんで郷土芸術の意義ある事を教えられていたので、この筆法に倣ってわたくしはその生れたる過去の東京を再現させようと思って、人物と背景とを隅田川の両岸に配置したのである。短篇小説・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
戦争後、市川の町はずれに卜居したことから、以前麻布に住んでいた頃よりも東京へ出るたびたび隅田川の流れを越して浅草の町々を行過る折が多くなったので、おのずと忘れられたその時々の思出を繰返して見る日もまた少くないようになった。・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・世の噂をきくに、隅田川の沿岸は向島のみならず浅草花川戸の岸もやがて公園になされるとかいう事である。思うに紐育市ハドソン河畔の公園に似て非なるが如きものが、ここに経営せられるのではなかろうか。とにかく隅田川両岸の光景は遠からずして全く一変し、・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ 子を産んでその男から捨てられるという悲劇もソヴェトでは女をセイヌ河や隅田川へは行かせない。国民裁判所へ彼女を行かせるだけだ。民法は、事情によって父親が受ける月給の半額までの扶助料を子供が十八歳になる迄支払う義務を決定している。 万・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・ 翌日、祖母は鉢の木や隅田川など、満足した顔付で聴いた。傍で、把手を廻しながら彼女の楽しむ様子を眺め、私はレコードを買って来てよいことをしたと思った。昔から祖母は謡曲好きなのに、近頃若い者達の買いためるレコードは、皆西洋音楽のものであっ・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・ ◎隅田川に無数の人間の死体が燃木の間にはさまって浮いて居る。女は上向き男は下向、川水が血と膏で染って居、吾嬬橋を工兵がなおして居る。 ◎殆ど野原で上野の山の見当さえつけると迷わずにかえれる。 ○本所相生署は全滅。六日夜十一時頃・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・この時よりずっと後になって、僕はゴリキイのフォマ・ゴルジエフを読んだが、若しきょうあのフォマのように、飾磨屋が客を攫まえて、隅田川へ投げ込んだって、僕は今見たその風采ほど意外には思わなかったかも知れない。 飾磨屋は一体どう云う男だろう。・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・そのころはまだ純粋の武蔵野で、奥州街道はわずかに隅田川の辺を沿うてあッたので、なかなか通常の者でただいまの九段あたりの内地へ足を踏み込んだ人はなかッたが、そのすこし前の戦争の時にはこの高処へも陣が張られたと見えて、今この二人がその辺へ来かか・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫