・・・一週間ばかり前に離縁をした。』と、きっぱりと答えたじゃありませんか。私はこの意外な答に狼狽して、思わず舷をつかみながら、『じゃ君も知っていたのか。』と、際どい声で尋ねました。三浦は依然として静な調子で、『君こそ万事を知っていたのか。』と念を・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・「旦那、どうして返すんです。」「離縁しよう。いまここで、この場から離縁しよう。死にかかっている吾を見棄てて、芳之助と手を曳いて、温泉へでも湯治に行け。だがな、お前は家附の娘だから、出て行くことが出来ぬと謂えば、ナニ出て行くには及ばん・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・働けば財産はできるものだ、いったん縁あって嫁いったものを、ただ財産がないという一か条だけで離縁はできない、そういう不人情な了簡ではならぬといわれて、おとよさんはいやいや帰ってきた。父の言うとおり財産のないだけで、清六が今少し男子らしければ、・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・問題に趣味のあるだけ省作の離縁話はいたるところに盛んである。某々がたいへんよい所へ片づいて非常に仕合せがよいというような噂は長くは続かぬ。しかしそれが破縁して気の毒だという場合には、多くの人がさも心持ちよさそうに面白く興がって噂するのである・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・どうせ、無事に帰るつもりは無いて、細君を離縁する云い出し、自分の云うことを承知せんなら、露助と見て血祭りにする云うて、剣を抜いて追いまわしたんや。」 こう云って、友人は鳥渡僕から目を離して、猪口に手をかけた。僕も一杯かさねてから、「・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ことに老父の怒ったのは、耕吉がこの正月早々突然細君の実家へ離縁状を送ったということについてであった。その事件はまだそのままになっていたが、そのため両家の交際は断えていたのだ。「何という無法者だろう。恩も義理も知らぬ仕打ではないか!」・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・あなたなんか、ヤイヤイ云われて貰われたレッキとした堅気のお嬢さんみたようなもので、それを免職と云えば無理離縁のようなものですからネ。」「誰も免職とも何とも云ってはいないよ。お先ッ走り! うるさいネ。」「そんならどうしたの? 誰か高慢・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・て君よりは孤独に堪える力を持っている、女、三界に家なし、というじゃないか、自分がその家に生れても、いつかはお嫁に行かなければならぬのだから、父母の家も謂わば寓居だ、お嫁に行ったって、家風に合わなければ離縁される事もあるのだし、離縁されたらこ・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・ 九 ある偏屈だと人から云われている男が、飼猫に対する扱い方が悪いと云ってその夫人を離縁した。そういう噂話をして面白がって笑っている者があった。 表面に現われたそれだけの事実を聞けば、なるほどおかしく聞こ・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・気立ての優しいよい娘であったが、可哀相にお袋が邪慳で、せっかく夫婦仲のよかった養子を離縁した。一体に病身であった娘は、その後だんだんに弱くなって、とうとう二十歳でこんな事になったと話して聞かせた。自分は少し前に上野でこの娘に会うたことを思い・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
出典:青空文庫