・・・それよりか、身に覚えなき罪科も何の明しの立てようなく哀れ刑場の露と消え……なんテいう方が、何となく東洋的なる固有の残忍非道な思いをさせてかえって痛快ではないか。青山原宿あたりの見掛けばかり門構えの立派な貸家の二階で、勧工場式の椅子テーブルの・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・吾人は日比谷青山辺に見るが如き鉄鎖とセメントの新公園をここにもまた見るに至るのであろう。三囲の堤に架せられべき鉄橋の工事も去年あたりから、大に進捗したようである。世の噂をきくに、隅田川の沿岸は向島のみならず浅草花川戸の岸もやがて公園になされ・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・それは青山御所を建てたコンドルという英人が建てたとか、あまり大きくもない煉瓦の建物であったが、当時の法文科はその一つの建物の中に納っていたのである。しかもその二階は図書室と学長室などがあって、太いズボンをつけた外山さんが、鍵をがちゃつかしな・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・しかし翻って考えて見ると、子の死を悲む余も遠からず同じ運命に服従せねばならぬ、悲むものも悲まれるものも同じ青山の土塊と化して、ただ松風虫鳴のあるあり、いずれを先、いずれを後とも、分け難いのが人生の常である。永久なる時の上から考えて見れば、何・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・その後青山英和学校も仕合に出掛けたることありしかど年代は忘れたり。されば高等学校がベースボールにおける経歴は今日に至るまで十四、五年を費せりといえどもややその完備せるは二十三、四年以後なりとおぼし。これまでは真の遊び半分という有様なりしがこ・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・そこで二人はもう一度、あの青山の栗の木まで行って見ようと相談しました。二人は鞄をきちんと背負い、川を渡って丘をぐんぐん登って行きました。 ところがどうです。丘の途中の小さな段を一つ越えて、ひょっと上の栗の木を見ますと、たしかにあの赤髪の・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
この第二巻には、わたしとしてほんとうに思いがけない作品がおさめられた。それは二百枚ばかりの小説「古き小画」が見つかったことである。 一九二二年の春のころ、わたしは青山の石屋の横丁をはいった横通りの竹垣のある平べったいト・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・切角飼うのに犬にも不自由をさせ、此方も苦労を増すのは詰らないと、本郷に居た時は勿論、青山に移ってからも、半ば断念して居た。時々新聞でよい番犬の広告を見たり、犬好きの従弟の話をきいたりすると、それでも種々の空想が湧いた。一匹欲しいと思う。自分・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・奥さんは内証で青山博士が来た時尋ねてみた。青山博士は意外な事を問われたと云うような顔をしてこう云った。「秀麿さんですか。診察しなくちゃ、なんとも云われませんね。ふん。そうですか。病気はないから、医者には見せないと云うのでしたっけ。そうか・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・松泉寺と云うのは、今の青山御所の向裏に当る、赤坂黒鍬谷の寺である。これを聞いて近所のものは、二人が出歩くのは、最初のその日に限らず、過ぎ去った昔の夢の迹を辿るのであろうと察した。 とかくするうちに夏が過ぎ秋が過ぎた。もう物珍らしげに爺い・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫