・・・そうして人を頼る気持は犬や猫と同じであるような気がするが、しかしどうしても体躯には触らせまいとして手を出すと逃げる。それだけは「教育」で抜け切れない「野性」の名残であろう。尤も、よく馴れたわれわれの手を遁げる遁げ方と時々屋前を通る職人や旅客・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・われらの将来はわれらの過去を除いて何処に頼るべき途があろう。明治四十三年六月 永井荷風 「霊廟」
・・・耳にばかり手頼る彼等の癖として俯向き加減にして凝然とする。そうかと思うとランプを仰いで見る。死んだ網膜にも灯の光がほっかりと感ずるらしい。一人の瞽女が立ったと思うと一歩でぎっしり詰った聞手につかえる。瞽女はどこまでもあぶなげに両方の手を先へ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ることは決してありえないし、それでこそ文学の文学である人間性があるのだけれども、歴史の進行の方向と階級間の関係についてのより客観的な把握は、おのずから文学の創作方法も、個々の作家のテムペラメントにだけ頼るものではなくなってくる。 批判的・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・娘がそういう内奥の問題について、しんみの母親を頼るような心持になれないような家庭内の雰囲気であったのでもあろう。女学校の今日の教育は、女が平凡な肉体と平凡な日常生活の軌道をもって過してゆくためには最少限の役に立っているであろうが、一旦現実が・・・ 宮本百合子 「昨今の話題を」
・・・それは人格の社会的目ざめの一段階として考えられましたけれども、今日ではいくじのない娘が親に頼ろうとしても頼るべき力が親にはないというのが現実になりました。こういう状態では婦人の勤労というものが一そう社会的に大きい意味を持ってきて、組合が男子・・・ 宮本百合子 「自覚について」
・・・が、頼るべき何人も何物も無く、全く一人ぼっちに成って見ると、彼女にとって現状のままを引延して予想した未来というものは、何とも云えない恐ろしいものと成って来ました。 暫の間、圏境の激変に乱れている心の焦点は、それが鎮ると共に、底の知れない・・・ 宮本百合子 「ひしがれた女性と語る」
・・・も、子にばかり頼る不甲斐ない母であるまいとする日暮しの運びかたが強調されていて、「母親というものは生むもの、創造するものである」という健気な自覚を内容づける母としての愛の高まり、拡大、愛の驚くべき賢こさが働くならば、去った息子との間に新しい・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・ただ分っていることは、人人は神を信じるか、それとも自分の頭を信じるかという難問のうちの、一つを選ぶ能力に頼るだけである。他の文句など全く不必要なこんなときでも、まだ何とかかとか人は云い出す運動体だということ、停ったかと思うと直ちに動き出すこ・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・の将たちの灯火を受けた胸の流れが、漣のような忙しい白さで着席していく姿と、自分の横の芝生にいま寝そべって、半身を捻じ曲げたまま灯の中をさし覗いている栖方を見比べ、大厦の崩れんとするとき、人皆この一木に頼るばかりであろうかと、あたりの風景を疑・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫