・・・良人の顔付きには気も着かないほど眼を落した妻は口をだらりと開けたまま一切無頓着でただ馬の跡について歩いた。 K市街地の町端れには空屋が四軒までならんでいた。小さな窓は髑髏のそれのような真暗な眼を往来に向けて開いていた。五軒目には人が住ん・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・先生は少し曇った顔付きをして真面目にみんなの顔や、半分泣きかかっている僕の顔を見くらべていなさいましたが、僕に「それは本当ですか。」と聞かれました。本当なんだけれども、僕がそんないやな奴だということをどうしても僕の好きな先生に知られるのがつ・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・しかし吉田にとって別にそれは珍しいことではなかったし、無躾けなことを聞く人間もあるものだとは思いながらも、その女の一心に吉田の顔を見つめるなんとなく知性を欠いた顔付きから、その言葉の次にまだ何か人生の大事件でも飛び出すのではないかという気持・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・と言ったが笑いもせず、唯だ意外という顔付き、その風は赤いものずくめ、どう見ても居酒屋の酌婦としか受取れない。母の可怕い顔と自分の真面目な顔とを見比べていたが、「それからね母上さん、お鮨を取って下さいって」「そう、幾価ばかり?」「・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・そこへお初が飛んで来て、いろいろ言い訳をしたが、何も知らない兄さんは訳の分からないという顔付きで、しきりに袖子を責めた。「頭が痛いぐらいで学校を休むなんて、そんな奴があるかい。弱虫め。」「まあ、そんなひどいことを言って、」とお初は兄・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・昔の先生の講義の口振り顔付きまでも思い出されるので驚いてしまった。「しろうるり」などという声が耳の中で響き、すまないことだが先生の顔がそのしろうるりに似て来るような気がしたりするのである。 もう一つ気の付いて少し驚いた事は、『徒然草』の・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・お母さんは、タネリの顔付きを見て、安心したように、またこならの実を搗きはじめました。 宮沢賢治 「タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった」
・・・すると所長はまだわたくしの顔付きをだまってみていましたが、「心当りがあるか。」と云いました。「はい、ございます。」わたくしはまっすぐ両手を下げて答えました。 所長は安心したようにやっと顔つきをゆるめて、ちらっと時計を見上げました・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・おみささんは、大きい四角なかさばった風呂敷包みを小脇にかかえ、眼のすわらないそわそわした顔付きであった。「さあ、もう何もこわえことないわ」「何なの、どうかしたの」「御あいさつもしないで――隣の家でえらいけんかが始りましてね」・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・ 何にも知らない獲物は、平気で頓間な顔付きをしながら、ノソノソ、ノソノソとだんだん落しに近づいて来る……。 そのとき猟人の胸に満ちる、緊張した原始的な嬉しさが、そのまま今年寄りに活気を与えて、何だか絶えずそわそわしている彼女は、きっ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫