・・・等で武士道徳のしきたりよりも更に強い人間の生命への執着と生の力の強靭さというようなものをその原形において押し出している。風変りな俊寛は、鬼界ヶ島で鬼と化した謡曲文学の観念を吹きはらって、勇壮に鰤釣りを行い、耕作を行い、土人の娘を妻として子供・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・一つの風変りな形で、しかも実際的なブック・レビューをして見たら面白くもあるしためにもなるだろうと思ったきっかけはそこにある。そのブック・レビューの方法というのは、この一冊の「科学の学校」を土台として、それぞれの項目について私たちの身近にある・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・ 一九三〇年の春の種蒔どきには、風変りな見かけの三等列車がソヴェト・ロシアのレールの上を運行した。三等列車の鋼鉄ではられた外側いっぱいに「五ヵ年計画を四年で!」というスローガンや、工場と農村の労働、その結合を主題にした絵、または一目見て・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ ゆうべから、私はこの風変りな手紙を、これ迄いつも貴方へあげる手紙を書いていた時のような楽しんだ心持で書きはじめる仕事に着手しました。三月二十四日に予審が終った時、私は外に出たら何よりも先にあなたのところへ出かけてゆき、過去一年間の様々・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・他人と比較されることのない風変りな日常習慣のうちで、人柄のある聰明さにかかわらず奇矯な癖をもっている天皇の動作、きいた風な宮のとりなし。かしこまってそこに連っている歌人・文学者たち一人一人の経歴が文学史的に細叙されているにつけ、つつしんでい・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・また日本の平面的な顔ではとても冠りこなすことの出来ない、風変りな大帽子などの新型も示されていました。それらが、わたくしたちに異国的な臭いを嗅がすことは嗅がすけれど、それだからといって、わたしたちの生活が一歩でも美しさに近寄れるでしょうか。・・・ 宮本百合子 「自覚について」
・・・ 考えてみると、母は風変りめいたところがあっと思う。私たち子供らは、小さい時から親戚へ連れられて行くというようなことが実に少なかった。すこし大きくなっても、それは同じであった。母とお孝さんのところへ上ったのも、思えば、芝のおうちが一度ぐ・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・ 一つの雑誌が、あしかけ四年かかって、ほぼ三千枚の小説を連載しきったということは、風変りな仕事であった。一部の終るごとに、わたしは弱気になって、編輯者の重荷になりはしまいかと心配したが、編輯の方では、ほかの雑誌ではしない仕事としてやって・・・ 宮本百合子 「「道標」を書き終えて」
・・・どんな一寸した風変りな河原の石にも、箒川に注ぐ瀧にも、すべてに名所らしい名称があって、そこには一々立札が立っているというのは、何と五月蠅いことであろう。塩原温泉組合は、遊山人のために何一つ発見すべきものを残して置かない。山歩きをしているうち・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・ところで、この書斎と客間の部分は、和洋折衷と言ってもよほど風変わりの建て方で、私はほかに似寄った例を知らない。まず廊下であるが、板の張り方は日本風でありながら、外側にペンキ塗りの勾欄がついていて、すぐ庭へ下りることができないようになっていた・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫