・・・なれども、貧は士の常なりと自から信じて疑わざれば、さまで苦しくもなく、また他人に対しても、貧乏のために侮りをこうむることとてはなき世の風俗なりしがゆえに、学問には勉強すれども、生計の一点においてはただ飄然として日月を消する中に、政府は外国と・・・ 福沢諭吉 「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」
・・・に十年、東都の仮住居を見すてしよりここに十日、身は今旅の旅に在りながら風雲の念いなお已み難く頻りに道祖神にさわがされて霖雨の晴間をうかがい草鞋よ脚半よと身をつくろいつつ一個の袱包を浮世のかたみに担うて飄然と大磯の客舎を出でたる後は天下は股の・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ この坊さんはいつでも飄然として来て飄然として去るのである。 風の音がひゅうと云う。竹が薬缶を持って、急須に湯を差しに来て、「上はすっかり晴れました」と云った。「もうお互に帰ろうじゃないか」と戸川が云った。 富田は幅の広い顔・・・ 森鴎外 「独身」
・・・ 果して安国寺さんは私との交際を絶つに忍びないので、自分の住職をしていた寺を人に譲って、飄然と小倉を去った。そして東京で私の住まう団子坂上の家の向いに来て下宿した。素と私の家の向いは崖で、根津へ続く低地に接しているので、その崖の上には世・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・一朝浮世のはかなさを悟っては直ちに現世の覊絆を絶ち物質界を超越して山を行き河を渉る。飄然として岫をいずる白雲のごとく東に漂い西に泊す。自然の美に酔いては宇宙に磅たる悲哀を感得し、自然の寂寥に泣いては人の世の虚無を想い来世の華麗に憧憬す。胸に・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫