・・・しまいには飼い主のお松にさえ、さんざん悪態をついたそうです。するとお松は何も言わずに「三太」を懐に入れたまま、「か」の字川の「き」の字橋へ行き、青あおと澱んだ淵の中へ烏猫を抛りこんでしまいました。それから、――それから先は誇張かも知れません・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・ たとえば、屠殺場へ引かれて行く、歩みの遅々として進まない牛を見た時、或は多年酷使に堪え、もはや老齢役に立たなくなった、脾骨の見えるような馬を屠殺するために、連れて行くのを往来などで遊んでいて見た時、飼主の無情より捨てられて、宿無しとなった・・・ 小川未明 「天を怖れよ」
・・・ 吉原は暖炉のそばでほざいていた。 飼主が――それはシベリア土着の百姓だった――徴発されて行く家畜を見て、胸をかき切らぬばかりに苦るしむ有様を、彼はしばしば目撃していた。彼は百姓に育って、牛や豚を飼った経験があった。生れたばかりの仔・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・その手段として、警察では、ほろのついた、大きな野犬運ぱん用のはこ車をつくり、それを馬にひかせて、飼主のわからない犬を見つけると、片はしからつかまえてつんでいき、きまった撲殺場へもってって殺しました。 ほろ馬車のはこは、鉄のこうしがはまっ・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・牛と豚とは、飼主の納屋に移転したのである。 夜、村のひとたちは頬被りして二人三人ずつかたまってテントのなかにはいっていった。六、七十人のお客であった。少年は大人たちを殴りつけては押しのけ押しのけ、最前列へ出た。まるい舞台のぐるりに張りめ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・世の多くの飼い主は、みずから恐ろしき猛獣を養い、これに日々わずかの残飯を与えているという理由だけにて、まったくこの猛獣に心をゆるし、エスやエスやなど、気楽に呼んで、さながら家族の一員のごとく身辺に近づかしめ、三歳のわが愛子をして、その猛獣の・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・たかだか日に一度や二度の残飯の投与にあずからんがために、友を売り、妻を離別し、おのれの身ひとつ、家の軒下に横たえ、忠義顔して、かつての友に吠え、兄弟、父母をも、けろりと忘却し、ただひたすらに飼主の顔色を伺い、阿諛追従てんとして恥じず、ぶたれ・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・新聞記事によると、B猫が不良で夜遊び昼遊びをして困るという飼主夫人の証言。これだけである。このいずれも当面の問題に対しては実に貧弱なデータで、これだけからなんらの確からしい結論も導き出せないことは科学者を待たずとも明白なことである。しかし、・・・ 寺田寅彦 「ある探偵事件」
・・・あれはこの動物にとっては全く飼主の曲馬師から褒美の鮮魚一尾を貰うための労役に過ぎないであろうが、娯楽のために入場券を買ってはいった観客の眼には立派な一つの球技として観賞されるであろう。不思議なのはこの動物にそういう芸を仕込まれ得る素質がどう・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・例えば郷里の家の前の流れに家鴨が沢山並んでいて、夕方になると上流の方の飼主が小船で連れに来るというような何でもない話でさえ、何かしら一種の夢のようなものを幼い頭の中に描かせると見える。それでいつも「おくにの話」をねだってはおしまいに「あたし・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
出典:青空文庫