・・・の二十入りの空き箱に水を打ったらしい青草がつまり、それへ首筋の赤い蛍が何匹もすがっていたと言うことです。もっともそのまた「朝日」の空き箱には空気を通わせるつもりだったと見え、べた一面に錐の穴をあけてあったと云うのですから、やはり半之丞らしい・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・ お澄が入って来た――が、すぐに顔が見られなかった。首筋の骨が硬ばったのである。「貴方、ちょっと……お話がございます。」 お澄が静にそう言うと、からからと釣を手繰って、露台の硝子戸に、青い幕を深く蔽うた。 閨の障子はまだ・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・――頭からゾッとして、首筋を硬く振り向くと、座敷に、白鷺かと思う女の後ろ姿の頸脚がスッと白い。 違い棚の傍に、十畳のその辰巳に据えた、姿見に向かった、うしろ姿である。……湯気に山茶花の悄れたかと思う、濡れたように、しっとりと身についた藍・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・なまめいているといえば、しかし、引っ越しの日に手伝いに来ていた玉子という見知らぬ女も、首筋だけ白粉をつけていて、そして浜子がしていたように浴衣の裾が短かく、どこかなまめいているように、子供心にも判りました。玉子はあと片づけがすんでも帰らぬと・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・そう言って蝶子は頸筋を掴んで突き倒し、肩をたたく時の要領で、頭をこつこつたたいた。「おばはん、何すんねん、無茶しな」しかし、抵抗する元気もないかのようだった。二日酔いで頭があばれとると、蒲団にくるまってうんうん唸っている柳吉の顔をピシャリと・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・私はコソコソと往きとは反対の盗み足で石段を帰ってきたが、両側の杉や松の枝が後ろから招いてる気がして、頸筋に死の冷めたい手触りを感じた。……「で、ゆうべあんなことで、ついフラフラとあの松の枝にぶらさがったはいいとして、今朝になってほん・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・今しも届きたる二三の新聞を読み終りて、辰弥は浴室にと宿の浴衣に着更え、広き母屋の廊下に立ち出でたる向うより、湯気の渦巻く濡手拭に、玉を延べたる首筋を拭いながら、階段のもとへと行違いに帰る人あり。乙女なり。かの人ぞと辰弥は早くも目をつけぬ。思・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・振り向こうとしたが、残念でたまらない、もしここでおれが後ろへ振り向くならもう今日かぎり画家はやめるのだゾ、よしか、それでよければ向け、もしこの森にいるとかうわさのある狂犬であっておれの後ろからいきなり頸筋へ食らいつくなら着いてもいいではない・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・髪の毛が伸び過ぎて領首がむさくなっているのが手拭の下から見えて、そこへ日がじりじり当っているので、細い首筋の赤黒いところに汗が沸えてでもいるように汚らしく少し光っていた。傍へ寄ったらプンと臭そうに思えたのである。 自分は自分のシカケを取・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・龍介はその時女の首筋に何か見たように思った。虱だった。中から這いでてきたらしかった。首筋を明るいところまでくると、ちょっと迷ったとでもいうふうに方向をかえて、襦袢の襟に移った。それから襟の一番頂上まで来ると、また立ち止まった。その時女が箸を・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
出典:青空文庫