・・・それからだんだん議論に花が咲いて壮語四隣を驚かすと云う騒ぎであったそうな。元来この家は神さんの名前でかりている。ところが七年前に少々家賃を滞おらしたのが今日まで祟っていて出る事ができん。しかも彼の財産は早晩家賃のかたに取られるという始末だ。・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・飽くまでも議論して之を争い、時として是れが為めに凡俗の耳目を驚かすことあるも憚るに足らざるなり。一 巫覡などの事に迷て神仏を汚し近付猥に祈べからず。只人間の勤を能する時は祷らず迚も神仏は守り給ふべし。 巫覡などの事に・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 一国文明のために学問の貴重なること、すでに明らかなれば、その学問社会の人を尊敬してこれに位階勲章をあたうるは、まことに尋常の法にして、さらに天下の耳目を驚かすほどの事に非ず。すなわち学問社会上流の人物は、政事社会上流の人物と、正しく同・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・一、古来、日本にて学者士君子、銭を取りて人に教うるを恥とし、その風をなせるがゆえに、私塾にて些少の受教料を取るも大いに人の耳目を驚かす。かつ大志を抱くものは往々貧家の子に多きものなれども、衣食にも差支うるほどにて、とても受教の金を払うべ・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・花の如く、玉の如く、愛すべく、貴むべく、真に児女子の風を備えて、かの東京の女子が、断髪素顔、まちだかの袴をはきて人を驚かす者と、同日の論にあらざるなり。 この学校は中学の内にてもっとも新なるものなれば、今日の有様にて生徒の学芸いまだ上達・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・曙覧、徳川時代の最後に出でて、始めて濶眼を開き、なるべく多くの新材料、新題目を取りて歌に入れたる達見は、趣味を千年の昔に求めてこれを目睫に失したる真淵、景樹を驚かすべく、進取の気ありて進み得ずししょしゅんじゅんとして姑息に陥りたる諸平、文雄・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・血達磨の紀行には時として人を驚かすような奇語奇文奇行がないではないが、惜しい事には文字に不穏当な処が多い。殊にその豪傑志士を気取る処は俗受けのする処であってその実その紀行の大欠点である。某の東北徒歩旅行は始めよりこの徒歩旅行と両々相対して載・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・かくのごとくして得来たるもの、必ず斬新奇警人を驚かすに足るものあり。俳句界においてこの人を求むるに蕪村一人あり。翻って芭蕉はいかんと見ればその俳句平易高雅、奇を衒せず、新を求めず、ことごとく自己が境涯の実歴ならざるはなし。二人は実に両極端を・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・のだから、ことこれに関しては、議論して争うことも避けがたく「是れが為に凡俗の耳目を驚かすことあるも憚るに足らざるなり。」明治の精神が持っていた壮健な常識の響は福沢諭吉の言葉をとおして、これらの文章のうちにも高く鳴っているのである。 そも・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・かつて初めて向陵の人となり今村先生に醇々として飲酒の戒を聞いたその夜、紛々たる酒気と囂々たる騒擾とをもって眠りを驚かす一群を見て嫌悪の念に堪えなかった。ああ暴飲と狂跳! 人はこれを充実せる元気の発露と言う。吾人は最も下劣なる肉的執着の表現と・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫