・・・一生妻子を養うことが出来れば、六百円の保証金も安いものだと胸算用してか、大阪、京都、神戸をはじめ、東は水戸から西は鹿児島まで、ざっと三十人ばかりの申し込みがあった。なけなしの金をはたいたのか、無理算段したのかいずれにしてもあまり余った金では・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・夕方福岡からきて、明日は鹿児島へゆき、数日後はまた熊本へもどって、古藤たちの学校で講演するというこの男は、無口で、ひどく傲岸にみえた。あつい唇をむッと結んでいて、三吉はゴツンとぶつかるようなものを感じさせる。そのうち、学生たちがまだ彼の演説・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 外国から帰った当時、先生の消息を人伝に聞いて、先生は今鹿児島の高等学校に相変らず英語を教えているという事が分った。鹿児島から人が出てくる度に余はマードックさんはどうしたと尋ねない事はなかった。けれども音信はその後二人の間に全く絶えてい・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・ 私共はそもそも初めの予定では鹿児島の方へは廻らない積りだった。廻ったらとても旅費が足りない。ところが、別府が危ぶんでいた通り思わしくなかったので、それではと鹿児島廻りで長崎へ行こうとたったのであった。どうせ大淀を通るなら、一寸汽車を工・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・版画的で、眼に訴えられることが強い。鹿児島でも、快晴であったし、眩しい程明るくもう夏のように暑かった故か、長崎が雨なのは却って一つの変化でよかった。私共は、急に思い立って来たので、宿も定めてはない。先年、長崎ホテルに泊って、そのさびれた趣を・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・日向で青島へ廻った日、鹿児島で一泊したその翌日、特に快晴で、私達は、世にも明るい日向、薩摩の風光を愛すことが出来た。五月九日という日づけにだまされ、二人とも袷の装であった。鹿児島市中では、樟の若葉の下を白絣の浴衣がけの老人が通るという夏景色・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
いまはもう鹿児島県に入らない土地となった奄美大島の徳之島という島から十二歳の少女が収容船にのって国立癩療養所星塚敬愛園にはいって来た。十歳のとき発病して、小学校の尋常四年までしかいかなかった松山くにというその少女は、入園し・・・ 宮本百合子 「病菌とたたかう人々」
・・・東京、大阪が最も密度濃いのは当然として、百世帯加入数辛うじて六以下という、ブランクによって示されている地方は、日本に於て、東北では青森、岩手の二県と、九州の突端の二つの県宮崎、鹿児島、琉球等のみである。 工業部門の職業でのラジオ加入は、・・・ 宮本百合子 「「ラジオ黄金時代」の底潮」
出典:青空文庫