・・・――いかに、いかに、写真が歴々と胸に抱いていた、毛糸帽子、麻の葉鹿の子のむつぎの嬰児が、美女の袖を消えて、拭って除ったように、なくなっていたのであるから。 樹島はほとんど目をつむって、ましぐらに摩耶夫人の御堂に駈戻った。あえて目をつむっ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・がて自分も着物を着替て改った挨拶などする、十になる児の母だけれど、町公町公と云ったのもまだつい此間の事のようで、其大人ぶった挨拶が可笑しい位だった、其内利助も朝草を山程刈って帰ってきた、さっぱりとした麻の葉の座蒲団を影の映るような、カラ縁に・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・綿入り二枚分と、胴着と襦袢……赤んぼには麻の葉の模様を着せるものだそうだから」……彼女は枕元で包みをひろげて、こう自分に言って聞かせた。「そうかねえ……」と、自分は彼女のニコニコした顔と紅い模様や鬱金色の小ぎれと見較べて、擽ったい気持を・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・僕たちは、お辞儀をかわした。麻の葉模様の緑がかった青い銘仙の袷に、やはり銘仙らしい絞り染の朱色の羽織をかさねていた。僕はマダムのしもぶくれのやわらかい顔をちらと見て、ぎくっとしたのである。顔を見知っているというわけでもないのに、それでも強く・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・黄八丈、蚊がすり、藍みじん、麻の葉、鳴海しぼり。かつて実物を見たことがなくても、それでも、模様が、ありありと眼に浮ぶから不思議である。これをこそ、伝統のちからというのであろう。 すこし調子が出て来たぞと思ったら、もう八枚である。指定・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・馬場の足もとに、真赤な麻の葉模様の帯をしめ白い花の簪をつけた菊ちゃんが、お給仕の塗盆を持って丸く蹲って馬場の顔をふり仰いだまま、みじろぎもせずじっとしていた。馬場の蒼黒い顔には弱い西日がぽっと明るくさしていて、夕靄がもやもや烟ってふたりのか・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・物干には音羽屋格子や水玉や麻の葉つなぎなど、昔からなる流行の浴衣が新形と相交って幾枚となく川風に飜っている。其処から窓の方へ下る踏板の上には花の萎れた朝顔や石菖やその他の植木鉢が、硝子の金魚鉢と共に置かれてある。八畳ほどの座敷はすっかり渋紙・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・ 浅草に行って その晩私は水色の様な麻の葉の銘仙に鶯茶の市松の羽織を着て匹田の赤い帯をしめて、髪はいつもの様に中央から二つに分けて耳んところでリボンをかけて居ました。紺色のカシミヤの手袋をはめて、白い大きな皮のえり巻・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫